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カテゴリ:織田作之助
●町田康と織田作のテーマ共通性
世相や時代感覚を、それを映し出すに相応しい人物を通して描く。 特に、登場する主人公は「迷走けつまずき落後人生」をおくる。こういうテーマ性において町田は織田作と共通性がある。(淀) 織田作『世相』にある「思えば私にとって人生とは流転であり、淀の水車のくりかえす如くくり返される哀しさを人間の相と見て、その相をくりかえしくりかえし書き続けて来た私もまた淀の水車の哀しさだった。」の記述がごときコンセプトが町田にも感じられるのである。 織田作自身が以下のように作中で、人間を描くことを通して世相を描くべきだと述べている。 「再び階段を登って行ったとき、新吉は人間への郷愁にしびれるようになっていた。そして、「世相」などという言葉は、人間が人間を忘れるために作られた便利な言葉に過ぎないと思った。なぜ人間を書こうともせずに、「世相」を書こうとしたのか、新吉ははげしい悔いを感じながら、しかしふと道が開けた明るい想いをゆすぶりながら、やがて帰りの電車に揺られていた」(織田作『郷愁』) そもそも町田の『夫婦茶碗』は、題名からしても内容からみても、織田作の『夫婦善哉』から発想した現代版と類推できるのである。 筒井康隆はこの『夫婦茶碗』の解説文において、「下降志向、狂気への指向」とテーマを要約しているが、これすなわち世相を反映させたテーマであるとみてよい。 町田の『きれぎれ』についての池澤夏樹の解説に、「成り上がった大衆として の中流階級への強い嫌悪感」「主人公の思惑と現実との間に次々に生じるズレ。 限りなく増殖する失敗談」と、テーマを要約している。 「社会に適応できない無能な若い男の起死回生の試みがすべて外れ、話は高速で、しかし脱力的に、思いも掛けぬ方へ展開し、やがて唐突に終わる」(同上) また、町田『人生の聖』には「打ちのめされ這い上がる」(192P)や「心をねじまげて現実を乗り切る」(124P)という主人公が描かれている。 織田作の主人公もみても、『夫婦善哉』の柳吉、『六白金星』の楢雄、『世相』の横堀など社会へ真っ当に適応できない男が描かれることが多い。(続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年06月03日 10時31分19秒
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