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テーマ:今日の出来事(292791)
カテゴリ:物の見方考え方
昨日は、豪雨の影響があるため恒例の下鴨納涼古本まつり行きを中止、友との再会もお預けとなった。
大阪出身の芥川賞作家(1975年『土の器』)であり、童謡「サッちゃん」の作詩でも知られる。彼の家庭は敬虔なクリスチャンであった。芥川賞作家の庄野潤三とは小中学校で同級生であり、朝日放送でも同僚となるなど親交が続いた。 阪田寛夫さんの詩「戦いの祈り」を見つけたので引用紹介しよう。 阪田寛夫の祈り 幾千万の母たちの 幾千万のむすこらが、 たがいに恐れ、憎みあい、 ただわけもなく 殺しあう、 戦いの真昼、 太陽もなまぐさく。 風吹きぬける焼け跡に、 幾千万の母たちは、 帰らぬ子らの足音を いつもむなしく 待っていた。 戦いの日暮、 まっかな陽が沈む。 むなしく裂けた天の下、 焼けてただれた樫の木が、 それでも青い芽をふいて、 神のめぐみを あかしした、 戦いはとだえ、 夜明けは近づいた。 幾千万の母と子の こころに合わせいまいのる。 自分の中の敵だけを おそれるものと なるように、 戦いよ、終われ、 太陽もよみがえれ。 (日本基督教団出版局 : 「賛美歌21」より 372番) 戦争中、三人きょうだいの私の家では、兄も、姉の連れ合いも、兵隊にとられて外地にいました。私も、中国に送られました。1946年夏、博多に復員船が着いて、空襲の焼け跡を通って大阪の家に帰ると、みんなが無事だったことが分かりました。 ところが、嫂(あによめ)の実家は違いました。男三人、女五人という子福者の家庭でしたが、男が三人とも戦死、戦病死していたのです。 岳父の家は、戦争中に不幸が相次ぎました。先ず二人の娘を結核で亡くしました。その矢先に、次男が、中国奥地で戦死します。敗戦時には長男を戦病死で失い、フィリピンに送られた三男だけが、消息不明でしたが、その後正式の戦死の公報が届きました。 私が「戦いの祈り」を主題とする作詞依頼を受けたのは、それから20年後です。もっと悲惨な例も少なくないでしょうが、以上が私の思い出した、かつては賑やかだった身近な家庭が、戦争から受けた傷あとです。 いい調子で自分にかまけていた当時の自分は、賛美歌依頼のお蔭でまた、中国から日本に帰った日の驚きも思い出しました。焼け跡の街の一画に、野天で食物・古着を売り買う人、物の匂い、駆けぬけるはだしの孤児たち。まるでそれまでいた中国の、廃墟の街かどそっくりでした。復員したばかりの私の感想はそこどまりでしたが、あの時の中国でも、街頭の喧騒から離れた、寒々とした泥の家に中には、やはり子供や身内を戦争で亡くしたもっと多くの母たち父たちが、悲しみをかかえてしゃがみこんでいる筈なのでした。 「幾千万の母たちの」という、悲しみと祈りの歌詞を、私はこれらの人々から与えられました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年08月15日 11時50分06秒
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