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カテゴリ:織田作之助
織田作を自社(産気新聞の前身、日本工業新聞&夕刊大阪新聞)で抱える小説家へと決断した鷲谷編集局長の手記をオダサク倶楽部会員でもある上孟二氏が発見。取材に回らず、小説に専念するようにの指示。
昭和15年、「俗臭」「夫婦善哉」でデビューした後のことである。 織田作はこれで、本格的に新進作家としての道を歩むことになったし、「夕刊大阪に時代小説「合駒富士」という連載を同年10月から書いている。 後には、司馬遼太郎が産経記者時代に「梟の城」を中外日報に連載するが、記者時代の新聞連載は織田作が先駆けであったのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年06月18日 10時45分41秒
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