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日経連載小説「ふりさけ見れば」、毎朝の新聞が楽しみです。 日本人なら「ふりさけ見れば」と聞けば、誰しも「春日なる三笠の山に・・・」と口をついて出て来ようというもの。「遣唐使」「阿部仲麻呂」「ふりさけ見れば」は、いわば歴史の3点セット。 筆者の安倍龍太郎は、ここ十数話唐に残った主人公阿部仲麻呂はしばらく置いておいて、日本に帰国した仲麻呂の盟友吉備真備の活躍を描いています。どうして仲麻呂は帰国船に乗らなかったのか、どうも真備はその理由を薄々感じ始めたようです。 くしくも日本では新羅より帰国した朝廷の使者が持ち帰った痘瘡(もがき)の感染が広がり、都は大混乱に陥った。仲麻呂の代わりに唐からやって来た、最新の医術を習得している仲麻呂の双子の息子、翼(つばさ)と翔(かける)は、感染を食い止めんと懸命な努力をするのであったが・・・。 「・・・典薬寮では、この先どれくらいになると見込んでいる」 「住人の四割から五割が発症し、そのうち半数が死ぬのではないかと見ています」 「馬鹿な。都には八万人ちかくが住んでいるのだぞ」 「・・・典薬寮には二十人ばかりの医師しかおらず、市中医を合わせても百人ほどです。数万人の患者に対処することは出来ません」 まさにそれから1500年もの歳月が経ち、格段に医療技術が進歩しているはずの現代においてさえ、世界中の民が同様の苦しみを味わっていることを思えば、当時の人々の絶望的な気持ちがひしひしと伝わってきます。 歴史をふり返れば、白村江の戦いで日本が唐と新羅の連合軍に大敗してより、大和朝廷は唐の属国としての立場を甘受する政策をとった。遣唐使もその一環ということができますね。ところがそれを潔しとせぬ一派が朝廷内には根強く残っており、平城京の建設という大事業においても両派の葛藤が避けられなかったと、安倍龍太郎は別著「平城京」でも取り上げています。 さてこの思いもよらなかった痘瘡(もがき)の感染は、その後のわが国の進路と密命を帯びて唐に残ることになった仲麻呂に、どのような影響を及ぼすことになるのでしょうか? 安倍龍太郎の筆が待たれます。 にほんブログ村 FC2ブログランキング 人気ブログランキング PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年03月13日 11時50分05秒
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