カテゴリ:本
日経連載小説「ふりさけ見れば」、毎朝新聞が届くのを楽しみにしています。今朝も新聞受けを2回覗きに行って、2回目に今日は新聞の休刊日であることに気づき、いたく失望しました。 日本人なら「ふりさけ見れば」と聞けば、誰しも「春日なる三笠の山に・・・」と口をついて出て来ようというもの。「遣唐使」「阿部仲麻呂」「ふりさけ見れば」は、いわば歴史の3点セット。 なぜ仲麻呂は日本に帰ることができなかったのか?いや、あえて帰ろうとしなかったのか?いよいよその謎が解き明かされようとしています。 それが仲麻呂は秘かに用間(スパイ)の任務を帯びていたからとは、衝撃意外の何ものでもありません。唐と対等の外交関係を持とうとする大和朝廷が望むのは、朝廷の正当性を証明する帝の出自について。膨大な歴史書を貯蔵する唐の君主教殿の蔵書蔵には、それを解き明かす書物があるはず。それを手に入れよ。 唐の官吏として皇帝に仕え、ようやく君主教殿に自由に出入りできるまでの地位についた仲麻呂は、『儀略』の中にその記述を発見したのであった。しかし意外にも皇帝・玄宗は、仲麻呂にその『儀略』を渡し、日本への帰国を許したのであった。 帰国の途に就いた仲麻呂一行には、もう一つ秘かな仕事が待っていた。鑑真和上の密航を計ることである。それを阻まんと遣唐使船の後を追って来た唐の役人の船を仲麻呂の巧みな機転によって欺き、途中胡逗洲の入り江で待ち受ける鑑真一行を乗せることに成功した4隻の遣唐使船は、琉球列島の小島にたどり着くことが出来た。ここで風と潮の状況を読み、九州目指して再度船出する手はずを整えていたのであったが。 ところが仲麻呂より一つ先の遣唐使船で来唐していて、今回帰国が叶った留学僧・弁正の病が篤くなり、死の床についてしまった。弁償こそが仲麻呂より先に密命を帯びていた用間であったのだ。 最後の望みとして『儀略』のその記述を見せてくれと言う弁正。後宮ばかりでなく政までにも口をはさめるまでの地位と権力を持った宦官・高力士に取り入るために、自ら虚勢までした弁正もまた『儀略』にまでたどり着いていたのだ。 「・・・ち、違う。これはわしが見た『儀略』ではない」 その時2本の矢が弁正の背に突き刺さり、弁正は絶命してしまう。 いったい誰が弁正を殺さなければならないというのか。唐の息のかかった手先が船に乗っていたというのか。それよりも何よりも、玄宗皇帝は仲麻呂にあえて偽の『儀略』を渡したというのか。 歴史書によれば、このとき帰国の途に就いた遣唐使船は4隻。うち3隻は日本にたどりつくことが出来たが、仲麻呂の乗った船は遠く越国(ベトナム)に流され座礁したと伝えています。 ・・・そうか。もしかしたら、仲麻呂は3隻の船を黒潮に乗せて日本に返し、自ら乗る船は逆風の東の風に乗せて、大陸に戻ろうとしたのではないか!? 果たして安倍龍太郎はどのようにその結末を描くのでしょうか。・・・明日の朝刊が待たれます。 「酒とそばと」幻冬舎から好評発売中この度幻冬舎さんのご協力を得て、拙著『「酒」と「そば」と』を出版しました。このブログの酒とそばについて書いたものを加筆修正したものです。肩肘張らずに気軽にお読みいただけるエッセイ集です。 まず「はじめに」から、書店での立ち読み気分をお味わいください。 はじめに 小粋な蕎麦屋に入って、いきなり「天婦羅そばを一つ」なんて注文するのは、いただけませんな。まあ、うどん屋に入ったわけじゃないのだから、蕎麦屋に入ってそばを注文して何が悪いということになるのでしょうけれど。しかし、もしあなたが「そば通」と呼ばれたいのなら、そして真の「酒飲み」と呼ばれたいのなら、カウンターに座ってまずは厨房からこちらの様子を眼光鋭くうかがういかにも頑固そうな店主の視線を浴びながらも、店の雰囲気をしばし味わうようなそぶりを見せてから、おもむろにこのように言ってみたいもの。 「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」 そんな古き良き時代の蕎麦屋の流儀なるものについて書かれた本を、書店で目にしたことがありました。私がまだ高校に上がったばかりのころだったでしょうか。 ほぉ~、蕎麦屋とは、まず酒を飲むところだというのか。俺もやがて蕎麦屋へ入ることがあったら、そんなセリフを吐いてみたいものだと思ったものでした。 ・・・あれから五十年、何の因果か製麺業を営むことになった私は、その蕎麦屋へそばを納めに行っては、「毎度ありがとうございます。今日から新そばで打ってあります」などと言うことはあっても、「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」などと言ったためしが久しくなかったことに今さらながら気づき、失望に打ちひしがれています。 日々仕事に追われながらも、いつかきっとそんな至高の悦楽を味わうことができる日の来ることを夢見て、「酒」と「そば」のうんちくを秘かに温めていると、驚いたことにこれはこれで楽しいではありませんか。 そのささやかな楽しみの一端を披露して、世の酒好き、そば好きといわれる皆さんと喜びを分かち合うことができれば幸せと、ペンを執った次第です。 「酒」と「そば」、二編に分けてご紹介していきましょう。 まずは「酒」編より、人は何故酒を飲むのでしょうか? 第一部「酒」編 「過ぎたるは及ばざるがごとし」 古来より「酒は百薬の長」といいます。実にいい響きを持ったことばですな。私は常々この心地良い響きを妻に言って聞かせるのですが、妻は私にこう言うではありませんか。 「あら、そういうものですか。では『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って、どのように響きになって?」と。 このほど世界保健機関(WHO)が発表したところによると、2016年に世界で死亡した人のうち約三百万人が、飲酒関連が原因と考えられるということです。「酒は百薬の長」とも語り継がれているのに、これほど多くの人が、飲酒が原因で命を落としているということは、これはやはり飲み過ぎたから、ということになるのでしょうか。 大雑把な計算になりますが、世界の人口を約七十億として、アルコールを摂取する人の数を約半数と考えれば、35億。 3,000,000 ÷ 3,500,000,000 = 0.086% という計算になりますから、なんだ、酒飲みの千人のうちの一人以下じゃないかと胸を撫で下ろした愛飲家の方、多いのではないでしょうか? しかしながら、どうしても気になるのは、どれだけ飲めば「過ぎたる組」になるのかということ。WHOの定義によれば、大量機会飲酒とは純アルコール換算で60グラム以上の飲酒機会を30日に一回以上持つことと書いてあります。そこで早速調べてみました。エチルアルコールの密度は、0.789g/ml ですから、 60 ÷ 0.789 = 76 ml、ビールのアルコール度数は、概ね5%と考えれば、 76 ÷ 5% = 1,520mlビール大瓶(633ml)二本半という計算になります。同様に清酒のアルコール度数を15%として計算すると、2.8合。 すなわちビールなら三本、清酒なら三合をひと月に一回でも飲む機会があれば、WHOは大量機会飲酒と定めているということになります。 確かにわが国はWHOに加盟しているかもしれないが、私個人はWHOになど加盟していないと主張する人もいるでしょう。見上げた心意気と拍手喝采を送りたいところではありますが、清酒三合以上を飲んだ翌朝のことを常々経験している者からすれば、やはりそうであったかとうなだれるしかありませんね。 あなたはうなだれる口ですか、それとも清酒三合ぐらいではうなだれませんと豪語する口ですか? う~む、古来より語り継がれてきたことわざ「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、なるほど深い含蓄のあることばだと認めざるを得ません。 飲ん兵衛な製麺会社社長が綴る、クスっと笑える蘊蓄(うんちく)が満載。 酒の文化や歴史、あらゆる種類の「○○そば」の由来、偉人の逸話に至るまで。 世の酒好きとそば好きに贈ります。日本人たるもの、これを知らなきゃはじまらない。 ぜひご一読いただければ幸いに存じます。 にほんブログ村 FC2ブログランキング 人気ブログランキング PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年12月12日 11時50分05秒
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