カテゴリ:本
人から「あなたの趣味は?」と聞かれれば、「読書」と答えるのが無難なところでしょうか。ところが、中には「どのような本を?」とさらに問いかけてくる人がいたりして、戸惑うことしばしばです。(笑! 「時代小説を少し・・・」とお茶を濁そうとすると、「作家ではどなたを?」などとなかなか追及の手を緩めてくれません。さらには「時代小説のどんなところに魅力を感じますか?」とまで問うてくる人がいて、返事に窮した経験が一度あります。 たぶんその方も歴史小説がお好きなのでしょう。そこで逆に「あなたは誰のファンですか?」と質問したら、「司馬遼太郎、藤沢修平、池上正太郎、柴田錬三郎・・・」と大家がずらりと出てきたのには恐れ入りましたね。 時代小説の魅力はといわれても、私は読書量がそれほど多くありませんから、これこれとはっきりと断ずることができないことをまず以ってお許しいただかなければなりませんが、私を時代小説に導いたのは、もしかしたら「武士言葉」の醸し出す不思議な雰囲気に魅かれたからと言えるかもしれません。 この本を手にしてそのことに気づきました。 その第1章「武士の決まり文句」の最初に取り上げられていたのが、「大儀である」。 その昔大名家の世継ぎとなった男児には、必ず扶育係がつけられた。藩の将来を担うことになる世継ぎの若様には、扶育係によって幼い頃より自分の感情を表に出さぬよう厳しく教育されたといいます。名君と歴史に名を残す人物は、総じて寡黙であったといいますから、なるほどと納得もできますね。 感情を表に出さぬには、しゃべらぬことが一番。そこで扶育係はこのように幼君に言って聞かせたのかもしれません。 「若君、人前ではかまえて『大儀である』と『重畳である』以外の言葉は発せられてはなりませぬぞ」(笑! 当然のことながら「かまえて」も「重畳である」も武士言葉。第1章で取り上げられています。 何故に武士言葉がそれほどまでにおもしろいかというと、「ま、いっぺぇやんね~」が「ささっ、一献参ろう」になり、「ちょっとすまねぇが・・・」が「卒爾(そつじ)ながら・・・」。「しまった、やりそこなった」が「これはしたり、仕損じた」、「まったくわけがわからねぇ~」が「はてさて面妖な」となる。 もっぱら江戸時代に限っても、このような二つの言語を話す別々の社会が存在したというのは、興味深いことです。 「酒とそばと」幻冬舎から好評発売中この度幻冬舎さんのご協力を得て、拙著『「酒」と「そば」と』を出版しました。このブログの酒とそばについて書いたものを加筆修正したものです。肩肘張らずに気軽にお読みいただけるエッセイ集です。 まず「はじめに」から、書店での立ち読み気分をお味わいください。 はじめに 小粋な蕎麦屋に入って、いきなり「天婦羅そばを一つ」なんて注文するのは、いただけませんな。まあ、うどん屋に入ったわけじゃないのだから、蕎麦屋に入ってそばを注文して何が悪いということになるのでしょうけれど。しかし、もしあなたが「そば通」と呼ばれたいのなら、そして真の「酒飲み」と呼ばれたいのなら、カウンターに座ってまずは厨房からこちらの様子を眼光鋭くうかがういかにも頑固そうな店主の視線を浴びながらも、店の雰囲気をしばし味わうようなそぶりを見せてから、おもむろにこのように言ってみたいもの。 「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」 そんな古き良き時代の蕎麦屋の流儀なるものについて書かれた本を、書店で目にしたことがありました。私がまだ高校に上がったばかりのころだったでしょうか。 ほぉ~、蕎麦屋とは、まず酒を飲むところだというのか。俺もやがて蕎麦屋へ入ることがあったら、そんなセリフを吐いてみたいものだと思ったものでした。 ・・・あれから五十年、何の因果か製麺業を営むことになった私は、その蕎麦屋へそばを納めに行っては、「毎度ありがとうございます。今日から新そばで打ってあります」などと言うことはあっても、「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」などと言ったためしが久しくなかったことに今さらながら気づき、失望に打ちひしがれています。 日々仕事に追われながらも、いつかきっとそんな至高の悦楽を味わうことができる日の来ることを夢見て、「酒」と「そば」のうんちくを秘かに温めていると、驚いたことにこれはこれで楽しいではありませんか。 そのささやかな楽しみの一端を披露して、世の酒好き、そば好きといわれる皆さんと喜びを分かち合うことができれば幸せと、ペンを執った次第です。 「酒」と「そば」、二編に分けてご紹介していきましょう。 まずは「酒」編より、人は何故酒を飲むのでしょうか? 第一部「酒」編 「過ぎたるは及ばざるがごとし」 古来より「酒は百薬の長」といいます。実にいい響きを持ったことばですな。私は常々この心地良い響きを妻に言って聞かせるのですが、妻は私にこう言うではありませんか。 「あら、そういうものですか。では『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って、どのように響きになって?」と。 このほど世界保健機関(WHO)が発表したところによると、2016年に世界で死亡した人のうち約三百万人が、飲酒関連が原因と考えられるということです。「酒は百薬の長」とも語り継がれているのに、これほど多くの人が、飲酒が原因で命を落としているということは、これはやはり飲み過ぎたから、ということになるのでしょうか。 大雑把な計算になりますが、世界の人口を約七十億として、アルコールを摂取する人の数を約半数と考えれば、35億。 3,000,000 ÷ 3,500,000,000 = 0.086% という計算になりますから、なんだ、酒飲みの千人のうちの一人以下じゃないかと胸を撫で下ろした愛飲家の方、多いのではないでしょうか? しかしながら、どうしても気になるのは、どれだけ飲めば「過ぎたる組」になるのかということ。WHOの定義によれば、大量機会飲酒とは純アルコール換算で60グラム以上の飲酒機会を30日に一回以上持つことと書いてあります。そこで早速調べてみました。エチルアルコールの密度は、0.789g/ml ですから、 60 ÷ 0.789 = 76 ml、ビールのアルコール度数は、概ね5%と考えれば、 76 ÷ 5% = 1,520mlビール大瓶(633ml)二本半という計算になります。同様に清酒のアルコール度数を15%として計算すると、2.8合。 すなわちビールなら三本、清酒なら三合をひと月に一回でも飲む機会があれば、WHOは大量機会飲酒と定めているということになります。 確かにわが国はWHOに加盟しているかもしれないが、私個人はWHOになど加盟していないと主張する人もいるでしょう。見上げた心意気と拍手喝采を送りたいところではありますが、清酒三合以上を飲んだ翌朝のことを常々経験している者からすれば、やはりそうであったかとうなだれるしかありませんね。 あなたはうなだれる口ですか、それとも清酒三合ぐらいではうなだれませんと豪語する口ですか? う~む、古来より語り継がれてきたことわざ「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、なるほど深い含蓄のあることばだと認めざるを得ません。 飲ん兵衛な製麺会社社長が綴る、クスっと笑える蘊蓄(うんちく)が満載。 酒の文化や歴史、あらゆる種類の「○○そば」の由来、偉人の逸話に至るまで。 世の酒好きとそば好きに贈ります。日本人たるもの、これを知らなきゃはじまらない。 ぜひご一読いただければ幸いに存じます。 にほんブログ村 FC2ブログランキング 人気ブログランキング PINGOO! ノンジャンル にほんブログ村 FC2ブログランキング 人気ブログランキング PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年02月16日 11時50分07秒
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