カテゴリ:平和に対する思い
8月9日は、米軍が長崎市に原爆を投下した日でした
広島と同様、鎖国時代わずかに外国に向かって開かれ、キリスト教信者が多く暮らすこの静かな祈りの街に、殺戮兵器が投下されたのです 戦争を体験された方は、現在高齢で、僕たちは今のうちにこうした方々から体験を受け継ぎ、次の世代に語り継いでいかなければ、戦争は風化し、やがて同じことを繰り返してしまいかねないと思います 残念ながら、敗戦は今や夏の風物詩に成り下がっていると感じます 同級生のヌクヌクさんは、結婚後の一時期を広島で暮らしたことも相まって、原爆被害な戦争をなくすことについて、熱い発信を続けています 9日の夕方、BSで東京大空襲に参戦した元B29の操縦士の現在の様子が紹介されていました 彼は、アメリカの若者達を前にこのように語りました ※ 当時私たちは日本人は悪魔のようなもので人間ではないと教 えられ、信じていた 大切な友人を日本との戦争で亡くした自分は、日本を心底憎 み、空襲するのは当然だと思っていた 戦争が終わって30年後、私は銀座を訪れた 車は一台も走っていなかった。休日で大通りは歩行者天国に なっていて、楽しそうに踊る人、歌う人、きれいな服を着て歩く 人、そこにいるのは決して悪魔ではなく、人間だった 私はこんな人が普通に暮らす街に爆弾を投下したのだ 私は思わず空を見上げた すると、高いビルの間の空に飛来した当時私が操縦するB29 から、現在の自分に対して爆弾が降り注ぐのを感じた そして、彼が最近来日した様子が映ります 彼の息子は日本の女性と結婚し、日本に暮らしています 息子の家を訪ね、孫を抱きます ※ 私は、時々悪夢にうなされる それは、日本に住む孫が爆撃機に乗り空襲のためアメリカに向かう そして、アメリカに住む孫は日本を空襲するため飛び立つ そして双方が夜の空で行き違う 彼は、東京都の慰霊堂を訪れ、そこで東京大空襲のために黒こげになり街中に転がる無数の死骸の写真を見ます ※ 知らなかったんだ そして戦後もアメリカでこのような写真を見ることはなかった 彼のまぶたは赤く腫れていました 知らなかった 戦争の原因のひとつとして、この言葉ほど重いものはありません 参戦した人は戦後まで、または戦地に赴くまで自分たちの行為がどういう結果を招くか知らされていなかった 正しく知ること、これが二度と戦争をしないための第一歩です 日本が戦争することになった背景には、理由があったはずなのです しかし、東京裁判以降、日本は戦争責任を問われることがあっても、それに至る原因はしっかり説明する場がありませんでした ひと言でも弁解しようものなら「あんなひどいことをしておいて弁解するな」と、内外から責められています しかし、戦争に至った原因はしっかり国民にも諸外国にも説明すべきだし、我々もそれを真摯に聞く耳を持つべきです 現在「証言」と「責任回避」が同一に語られているのが残念でなりません 昨日BSに出ておられた元米軍軍人は、しっかりと証言されており、当時空襲に参加した自分について「弁解」されていました それを聴いた僕は、こうした方がもっと増えれば、そして「加害者」として追及するのではなく、今後の世界平和のため体験と反省を共有していくことが出来るならば、戦争が無くなる日が来るだろうと感じました ちょっと重い日記でごめんなさい 戦争で命を落とされた方が、どうか安心できるような社会を作っていきましょう お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月10日 10時47分45秒
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