カテゴリ:プチ京都(^^)
陸前高田市矢作町の高田松原の被災した松に、被災者の皆さんが亡くなった方々への思いを書き込み、京都の大文字五山送り火で焚くという、思いの込められた行事が、京都人の「放射能の拡散」という懸念で中止になったと報じられた これについては、マイミクの烈ママさんが、怒りのつぶやきをされていたが、当然である 憤懣やるかたないというのは、こういう状況をいうのだろう 科学的根拠から、放射能の影響はないとされていた。…のにである 僕の思いを書き込むまでに、まず京都の夏の行事について述べておきたい 京都では7月中、祇園祭が執り行われる この祭は、その起源は、昔、東北地方に大地震が発生したことに初まる 大地震のあと京都では疫病の流行 これを御霊(ごりょう)の仕業と畏れた京都の人々が、国の数だけ鉾を立てたのが始まりといわれる 祇園囃子で御霊を呼び寄せる 山や鉾に御霊をのせ、稚児が先陣を切って黄泉の国へ送り返すというのが祇園祭である そういう思いで、今年の祇園祭を見ると、全ての行事に頭が下がり、どうかこれで被災地を初めとして、日本中が安寧であれと、涙涙で巡行を見送った僕である そして、大文字五山送り火 これは、言わずと知れた、盂蘭盆会にこの世にお帰りになった御霊(みたま、注:先程の「ごりょう」とは違い、近しい人の魂のことです)を、再びお送りするために、感謝を込め、「どうか、この世のことは、我々にお任せ下さい。安心してお還り下さい」という思いで、東山如意ヶ嶽の大文字、松ヶ崎の妙・法、北山の舟形、衣笠の左大文字、嵐山の鳥居形が、順番に灯され、京都人は深く頭を垂れ、万感の思いで見送るのです よく「大文字焼き」などという人がいますが、僕に言わせれば ☆大文字焼き…鉄板の上にお好み焼きのたねを「大」の字にのせて焼くこと であり、五山の送り火は断じて大文字焼きと言って欲しくない また、金持ちが、芸舞子にお酌をさせながら、美味しいものを食べながら眺めるというのも、本来の趣旨と異なる その反面、送り火で、被災地の方々が、被災地の松に書かれた願いを焚くことが出来たら、これほど本来の送り火の趣旨に合致したものはない 「パパへ、今までありがとう」「姉ちゃんの料理おいしかった」などという、感謝の言葉が書かれていたという それを聞いただけで、僕は申し訳なさと、この京都のくだらない連中のふがいなさで、頭が爆発しそうになるのだ こんな、真に宗教的で、真に心のこもった行事が、一部のクレーマーの横やりで中止になってしまったということは、これから先々、京都人として負い目に感じて行かなければ申し訳が立たないという気持ちである 全国の方々は、京都人はなんという非人情な人種なんだろうと思っていると思う 仕方がありません。僕も京都人でなければそう思ったでしょう。 でも、大大多数の京都人は、この事を恥ずかしく思い、申し訳ない気持ちで一杯であると言うことを、ここに書き留めておきます 被災地の皆さん、どうか、亡くなられた方々が安らかであるよう、京都の地からお祈りさせて下さい うちの次女は、まもなく東北に向けて出発する予定です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年08月09日 21時32分38秒
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