法話に聴いて来ました
今日は、法話に出会えた縁についてお話したいと思います昨日は、仕事を定時に切り上げることにしましたさて、何をしようかと思案していると、同僚の女性に「このごろは法話を聴きに行っているのですか?」と尋ねられ、そういえばここのところ行ってないなと思い、お寺によったのでした法話を聴いた時は、深く納得して、そうだそのとおりだと思って帰ったのですが、一晩寝るとどんな話だったか、更には法話を聴いたことすら忘れかけて今朝の仕事にかかりましたしばらくしての、昨日の同僚に「昨日はお寺に行かれたのですか?どんなお話でしたか?」と尋ねられ、そうだ、行ったんだと(^^)そこで、思い出しながら、昨日のお話をしました初めは、盂蘭盆のお話お釈迦様の十大弟子の一人で神通第一の目蓮尊者が、亡くなった母がどうしているかと、神通力で覗いてみると、なんと母は餓鬼道に落ちて苦しんでいた立派な尊者を産み育てた立派なはずの母がどうして餓鬼道に落ちたのかそれは、我が子がかわいい我が子がかわいいと、自分の子にのみ愛情をかけ、他を忘れてしまったからそこまで話して「ほんまに、そのとおりですね」と、同僚と深く納得いつの間にか、自分さえ良ければ、我が子さえ良ければという生き方をしてしまっていますねと、うなずき合いました結局尊者の母は、仏法の力で救われますそして、次は二つ目のお話江戸時代頃、学者でもある僧侶が遠くまで出かけ、日が落ちてしまったそうだ、この近くに学者である友人が住んでいるはずだ、一晩泊めてもらおう行くと、友人は歓待してくれた僧侶は、「この家の仏様にご挨拶したいので、お仏壇に参らせて下さい」と頼むと、友人は「あなたは、仏法など本気で信じているのか。私はそんなものは信じない。人は死んだら灰になり、土になるんですよ。仏壇なんてうちにはありませんよ」とまるで小馬鹿にするように言った翌朝、僧侶は残念な思いで、友人宅を後にした数年後、僧侶は、またその近くに用があったので、気乗りはしなかったが、挨拶にだけと思って友人宅に立ち寄ったすると、友人は「ようこそ来て下さった、さあさあ、うちのお仏壇にお参り下さい」と、僧侶を仏間に案内した一体この友人は、数年で何故こんなにも変わったのだろうすると、友人は、その訳を話してくれた実は、大事な一人娘をわずか6歳で亡くしたのです娘は、直らない重病にかかったのです可愛がって大事に育ててきた娘がもうすぐ死んでしまうそんな時、娘が「お父さん、死んだらどこへ行くの?」と尋ねたのです私には答えがありませんでしたまさか「お前は、まもなく死んで焼かれて灰になり、土になってしまうんだよ」なんて、言えなかったのです何とか、娘を死の不安から救ってやりたいとっさに、私の口からは、あなたから聞いた言葉が出ました「人は死んだらね。阿弥陀様という仏様が迎えに来て下さって、極楽という所へ行くのだよ。そこは楽しいこと、うれしいことしか起こらない所なんだよ」「お父さん、どうしたら、そこへ行けるの?」「それはね、なむあみだぶつという、お念仏を唱えるだけなんだよ。たったそれだけで極楽へ往生することができるんだよ」「そうなの。ああ、うれしい。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」そう言って、娘は往生しました私が話したあの言葉は、私が話したんじゃない、阿弥陀様が私の口を使って話して下さったんだと信じていますそして、私は娘が極楽に往生したことを信じて疑いません友人はそんな話をしたということですここまで話すと、僕の同僚は「きっと娘さんは、お父さんにそのことを伝えるために生まれ、亡くなったのでしょうね」と言い、更に「この世に起こることは全て大事な意味があるんでしょうね」と言いました同僚に言われて聴聞に行き、内容を忘れかけていたのに、同僚に尋ねられて、鮮明に思い出したそして、それを話すうちに、聞いた時の感動がよみがえるほんまに、不思議な縁で出会った昨晩の法話忘れられない法話になりました