カテゴリ:平和に対する思い
昨日の土曜は久々に仕事
ここのところ、平日の仕事の密度を詰めて来たので、毎土日は休めていましたが、昨日は相手のある仕事のため出勤、ついでにしっかり考えたい業務の推敲が出来ました 今日は、朝は6時前に普段通りにさくらが、散歩に連れて行けと起こしに来ました 涼しいうちに散歩を済ませました で、午前中は妻と一週間分の買い物に行き、早めのお昼ご飯を食べて、いつも練習に使わせてもらっている京田辺市の公民館へ 今日はそこで「スポーツフェスタ」が開かれていました 【年配の女性から聴いた戦争の話】 練習の場所代がタダな代わりに、年に何度かの公民館の行事には、参加したり、お手伝いをしたりしなければなりません 今日は体育館で会場整理係 そこで、同じく整理係のお手伝いに来ていた方と友達になりました と言っても、その方は80歳の女性 よくしゃべる方で、何でも話してくれます 僕はこの年代の方と話す時は、聴きたいことがあるのです それは、その方の戦争体験です 女性が終戦を迎えたのは、12歳の夏でした 二人の兄は、一人は赤紙で、もう一人は予科練に志願して出征していました 戦争が終わって、ずいぶん月日が経ってから二人とも無事に帰ってこられました この方のお婆さんという人は、なかなか厳しい方で、二人を玄関の敷居をまたぐまでに、衣服を全部脱がせました 服についたシラミが家に入ることを嫌ったのです 妹である女性は、その大きな布を兄に渡し、衣服をすべて鍋で煮て消毒したのだそうです お婆さんは、兄が無傷で帰還したことを手放しでは喜ばず 「鉄砲の弾の一つでも当たって来ないか!無傷では、傷痍軍人の恩給がもらえないではないか!」 と叱ったと言うことです 今では考えられませんね 中国大陸から復員した上の兄は、その後婿養子に行ったそうです その人は晩年、死の床に伏し、妹である女性は久しぶりに駆けつけて対面したそうです 会うと、兄は危篤と言われていたのに、中国大陸でどのような任務についていたのか、どのように復員したのか、また前述したような祖母の厳しさなどを話したそうです 妹さんの言うには、兄は婿養子なので結婚後はこんな話はする相手がおらず、子どもたちにもそんな話は通じず、苦しんでいたのでは無いか、それを妹さんが「そうか、そうか」と聴いてくれたことがよっぽとうれしかったのか、大きな声ではっきりと何時間も話し続けたそうです その間、さっきまで死にかけていた人が元気に話す様子を看護婦さんが何度も見に来たと言うことです やはり、人に話を聞いてもらえる、分かってもらえるとと言うことは、生きる喜びを生じさせるものなのでしょう そんな話をしているうちに、僕の任務も終わりました 【城陽市音楽団コンサート】 時計を見ると午後2時 実は、今日は午後1時半から、昔僕が音楽を再開するきっかけとなった楽団「城陽市音楽団」のコンサートがあると案内をいただいていたのです 大急ぎで駆けつけて撮ったのが冒頭の写真です この楽団は、半数くらいは楽器未経験者ですが、みんな本当に音楽が好きな方ばかりです お客さんは、だいたい僕より年代が上の人が多く、今日の曲目も演歌あり、ジャズあり、マーチあり、AKBありとバラエティに富んでいて楽しかったです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年07月22日 21時32分20秒
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