カテゴリ:平和に対する思い
今日、8月6日は米軍によって広島市に原子爆弾が投下された日です
平和公園には「過ちは繰り返しませぬから」と刻まれた碑が建っている 僕は、「過ち」とは、誰のどの過ちなのかと考えてしまう この文章の主語が「米国」または「全世界」で過ちとは「無辜の市民に核爆弾を投下した事」あるいは「非戦闘員を爆撃で殺戮した事」ならば、理解出来る しかし、主語が「日本国」あるいは「日本軍」となれば、一体過ちとは何ぞや? 欧米列強に対して武力で立ち向かった事か? 軍事力の勝る米国に牙を向いた事か? それならはっきりこう書くがいい 「安らかにお眠り下さい。力の弱い日本が、いくら全世界からいじめられようとも、アジア諸国が、いくら欧米に理不尽な植民地支配をされようとも、強大なアメリカ様には、決してタテつきませんから」 それって、原爆で命を落とした方々や、祖国のために戦って下さった英霊に余りにも失礼では無いですか? 日本は国策を誤ったから戦争に負けたのではない 連合国は、正しかったから勝ったのではない 国力、武力の勝る国が勝ったに過ぎないのだ その様な当たり前の事を言わず、近隣諸国に頭を下げ続けるこの国 戦争だけは何としても回避しなければならない しかし、そのためには、他国が恫喝する気を無くす位の、国力、武力が必要だと思う 昨今、国内では、子どものいじめが問題となっているが、その背景にはいじめる側と、いじめられる側の体格、体力、腕力の差があると僕は思う いじめられた非力な子どもには、何の罪も落ち度もない しかし、本人が非力なら、周囲に力の強い正義漢はいなかったのか 開戦直前の東南アジアにとって、日本こそその正義漢であった しかし、列強との間には、圧倒的な物量の差があり、敗戦となったのだ 敗戦祈念の日に、国をあげて「私が悪うございました」というのを止め、世界平和のためには何が必要なのか、真摯に考えたいものだ 戦争で命を落とされた英霊の皆様 爆撃で亡くなった皆様 どうか安らかにお眠り下さい 相手が強いからと恫喝に屈する様な国には、いたしませんから ※これは私の気持ちの覚え書きです これに対する誹謗中傷は、どうかご自分のブログでお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年08月06日 08時06分08秒
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