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シングル母のアメリカ暮らし

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さく408

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2004.06.25
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6月25日は、父の命日だった。


私の父は30年も前に他界している。
お酒が好きで、子供が好きで、曲がった事の嫌いな人だった。


私は父が大好きで、そして少し嫌いだった。


父はお酒を切らす事ができなかったし、お酒が切れると私を酒屋まで買いにやらせた。私が今、お酒を飲まないのも、そしてお酒を飲まない人を元伴侶に選んだのも、少なからず影響があるような気がする。


父はよくふんどしをしめていた。
ふんどし、である。
私の年代の父親でそんなものをつけている人はいなかった。
家でこっそりつけてくれている分にはかまわないが、
公営のプールにまでそれで現れたのだ。
子供の私は、恥ずかしくて死にたくなった。
プールの係員に注意されて、
「ふんどしのどこが悪い」と怒鳴った父だった。
おまけにどこぞのご婦人が
「そうよそうよ、ふんどしは日本男児の象徴よ」
などと言ったもんだから、ますますいい気になって、
プールサイドでふんぞり返った。
娘にここまで赤っ恥をかかせる父親も珍しい。


小さなグラビア印刷工場をやっていたので、
いつも手が真っ黒だった。
洋服もインクのシミで汚れていた。


ある母の日、父は仕事帰りに私たちをトラックにのせて
母へのプレゼントを買いにいった。
薄汚れた父を見て、店員は怪訝な顔をしていたが、
私たちを見るとニコっとして、母のエプロンを包んでくれた。

その帰りに、父はパフェをごちそうしてくれた。
薄汚れたシャツを着て、長靴を履いた父を
その小さな喫茶店の店主は粗末に扱った。
「仕事の帰りなんだ。そんなに実際汚れている訳じゃない。
ちゃんと客らしく扱え。」と怒った。
パフェは豪華でおいしかったが、
何だか胸がつかえて悲しかった。


それでも父が大好きだった。


近所の子供たちを集めてトラックの荷台に詰め込み、
皆をメダカ取りに連れて行ってくれた。


父の葬式で、「オレはおじさんに自転車に乗るのを
教えてもらったんだ」という子も何人かいた。


団地の祭りの神輿の時は、
いつも先頭切ってかついでいた。
そんな父をかっこいいと思った。


父が亡くなったのは、病室の窓が夕焼けで
真っ赤に染まる時間だった。
肝臓をやられて入院していたにもかかわらず、
こっそり抜け出して酒を飲みにいくような人だった。
今思えば、父にはとても弱いところがあったのだと思う。
父の死に顔はおだやかで、本当に眠っているようだった。


今、夕暮れ時は私の一番嫌いな時間であり、
一番美しいと思う時間でもある。
幸せな時には心から楽しめる夕暮れ時が、
孤独な時には何よりも辛い時間となるのである。


父は紫陽花が大好きだった。
団地の庭の、各家庭に与えられたわずかなスペースに、
青い、大きな花を咲かせる紫陽花を植えていた。
「紫陽花はな、雨に打たれると、ますます色が冴えるんだぞ。
強くてきれいな花なんだ。」
私も青い紫陽花が大好きになった。


父の葬式はどしゃぶりの雨の中だった。
私は納棺の前に、こっそり抜け出して、
雨の中、傘をさし、紫陽花を3本摘んだ。
父の棺に入れたかったのだ。
父の写真を見ると、涙が出そうになったが、私は泣かなかった。


父が亡くなってだいぶたち、
団地の廊下を人の歩く音がした。
「あ、お父さんだ。」
その足音は、家の前では止まらず、
3軒先の家の前でドアを開ける音がした。
はじめて、父がもう戻らない事を実感した。
はじめて、家族から隠れて、泣いた日だった。


今でも父の笑顔は鮮明に思い浮かぶ。
腕枕をしてくれて、耳元で話しかける父の声は
とても心地よく耳に響いた。
私がどこにいてもきっと必ず見守っていてくれる。


大切な人というのは、
いつまでもいつまでも、
心の中で生きているのだ。





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Last updated  2004.07.01 22:52:50
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