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シングル母のアメリカ暮らし

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さく408

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2004.07.24
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テーマ:たわごと(26829)
カテゴリ:母のひとりごと
私のふるさとは、ウサギもいなければ、小鮒も釣れない。
山も川もない。あるのは広大な団地と公園と学校くらい。
それでもやはり懐かしいものは懐かしい。

私の育った団地は、公営団地だ。
上限所得が決まっていて、貧乏人しか入れない。
当然その住民はさほど上品とはいえず、一帯は下町の貧乏長屋と化している。
日常的におしょうゆの貸し借りなども行われているようなところだ。
お金を貯め、家を建てて出て行く家族は、
羨望のまなざしと飾り気のない賞賛で送り出される。
後に残ったものは、ちょっぴりの寂しさと一筋の希望を胸に、
この団地で日々を過ごす。


私はティーンになった頃、自分の環境が好きじゃなかった。
いつかはここを出て行ってやるぞ、と胸に誓っていた。
ある意味、それが自分に取っての出世だった。


今思えば私はけっこうイヤな女だったのだ。
口には出さなかったけど、この団地で生まれ育って、同じ団地の男と結婚し、
20にもなるやならずで子供を産んで育てる同級生の人生を、
「ああはなりたくない」と思い込んでいた。
ああいう一生は送りたくない、私はここを出て行くんだ、と思った。


確かに私は団地を抜けだした。
まさかこんな遠いところまでたどり着くとは思わなかったけど。
じゃあ、これは自分が望んだ人生だったのだろうか。
私が望んでいたのは明るい家庭、やりがいのある仕事、それだけだ。
それなら別に団地にいたってよかったわけだ。
自分でその都度選択してきた人生だから、今更文句はいわないけど、
あの頃、生まれた土地を動かない同級生を、
心の中でちょっと見下していた自分を今は深く恥じている。


子供の頃から、夕方になると豆腐屋のラッパの音がきこえていた。
今、そのラッパを吹いているのは、家業を継いだ同級生だ。
ラーメンの出前を頼むと、いつも元気よく持ってきてくれる、
長靴を履いた女性は、妹の同級生である。
タクシーにのったら、とても感じのいい運転手さんだった。
名札を見たら、同じ中学の子だった。
酒屋の店主も、パン屋の店員も見覚えがある。
スーパーに行くと、2-3学年上だった人が
早々と孫らしき幼子を連れていた。
(彼女は確かティーンで母親になったのだ)

みんなこの土地を離れず、それぞれ一生懸命生きているんだな、と思った。


私はこんな遠いところで、
恥ずかしいという感情を持っていた故郷を、
ときどき恋しく思って暮らしている。

団地の棟の隙間から見える夕焼け、夜鳴きそばのラッパの音、
竿竹売りの呼び声、銭湯の喧噪。
日曜の夕方になると、あちこちの窓から
「笑点」のテーマ音楽がこだまして聞こえた。


夏の盆踊り。みんなで踊った「東京音頭」。
木枯らしにふるえるみのむし。
春の水仙の香り。秋の団地祭のお囃子。
雨に濡れる紫陽花。
しんとした10月の夜の、金木犀の甘い匂い。
毎週きていた紙芝居のおじさんの真っ黒な手。


すべてが鮮明に脳裏に焼き付いている。
そしてあの安っぽい団地の思い出が、
何よりもキラキラ輝いて思い出されるのだ。


ふるさとは誰の胸にもあるのだろう。
中には二度と帰りたくないという思いを持っている人だっているだろう。
でもたいていの場合、自分が子供の頃に楽しい時を過ごした場所は、
どこだって故郷になり得るのだ。
テレビを楽しんだ居間だって、母親の裾にしがみついた台所だって、
父親のあぐらをかいた膝の上だって、
戻りたいと思えるところがあったら、それが故郷なのだろう。

母が生きている限り、私には帰るところがある。
もし母がいなくなってしまったら、
きっと私の中ではあの団地で過ごした日々が
故郷の景色として封印されるに違いない。


追記:
戻る場所が未だにある私はラッキーだなと思う。
でも、そうそういつまでもそこにあるとは思っていない。
しいていえば、私にはもうひとつ故郷がある。
父親が小さな工場を持っていたある街だ。
いつも父に連れられて、彼が仕事をしている間、
小川や畑で遊んでいた。とても懐かしい場所。
でも行こうとは思わない。
行っても様変わりしていておそらくわからないだろう。
心の中にちゃんと存在しているのだからそれはそれで良いと思う。

私自身も息子に故郷を、とは思うが、いつまでもひと所にいる事はないだろうと思う。
ふるさとって、『場所」や『存在感」ではなくて、
心の中に映し出される幼い頃の情景や思い出のことなんじゃないのかなあ。
だから、息子たちにも、毎日毎日の私と過ごす時間を、
心安らぐ時間だと思ってもらえば、それでいいかな、と思っている。
今日は夕方帰って来る子供たちのために、スイカでも買ってきてひやしておこうかな。 


本日の献立:
冷凍ディナーのCreamy Chicken Tuscan (炭水化物わずか9グラム)

金曜の夜だから何にも作らないの! ひとりだし。
買い物でもいってくるかなあ。





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Last updated  2004.07.25 01:18:08
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