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シングル母のアメリカ暮らし

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さく408

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2006.02.06
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きのうの日記に対してコメントをいただいた。
というか、コメントではなくて、
リンクが1点はられていたので、
何かな、と思って見に行った。


あの有名な「100人の村」がフラッシュ化されたサイトで、
リンクを広めてほしい趣旨の一文が添えられている。
へそまがりで大変申し訳ないのだけれど、
私にはあの考え方の目的が今ひとつよくわからないし、
ここにリンクを張る事は遠慮させていただく。


私のコメントにリンクを張ってくださった方に
悪い感情を持っているのではない。
それから過剰反応をしているのではない。
第一コメントが残されていないので、
それがお叱りなのか励ましなのかもわからないのだ。
ただ、私は以前からこの「100人の村」に強い違和感を感じていて、
それがどうしてなのか、自分でも不思議だったので、
ちょっと日記に書いてみたくなった。


日本で生まれた私たちは、基本的に大変恵まれている。
少なくとも衣食住は何かの間違いが起きない限り
政府が保証してくれているだろう。
(自分が働かなくて食えないのは別の次元の話)
アメリカは貧富の差がもう少し激しくて、
望まずにホームレスになる人もいるのだけれど、
それでも飢えでや寒さで死ぬ人の数は、
いわゆる第三世界の人々に比べたらほんの少しだ。


言われなくても私にだってわかっている。
私は世界の中のほんの一握りの幸運な人間だ。
とりあえず健康で働く事ができ、
屋根のある家もあり、冷蔵庫には食料が入っている。
取りあえず銀行にわずかでもお金は入っていて、
車もあるし、コンピューターもある。
ああ、私はなんて幸福な恵まれた人間なのだろう。
神様、ありがとう。


・・・って毎日、毎朝、こう思えたらどんなに幸せか。


人は皆、自分の持って生まれて来た環境を
大きくは変えずに生きて、死んでいく。
もちろん貧乏な家庭に生まれて玉の輿、
などと言う事はあっても、せいぜいがその程度。


生まれ落ちたときから親もいない、
はく靴もない、学校も行けないから字も読めない。
その日食べていくのがやっとで、
ストリートで暮らしながら、食べ物を漁って
夜は寝床を探して丸くなって眠りにつく。
そんな環境で生きて来た人間が、
大人になってニューヨークでビジネスを起し、
世界の富のかなりの割合を稼ぎ上げた、
などと言う話はほぼまったくありえないのだ。


でもみんなその与えられた環境の中で
せいいっぱい少しでも良くなろうと思って生きていく。
生きていけない子供達もいる。
お腹がいっぱい、なんていう感覚を経験したこともなく、
生まれて数年で死んでいく子供達もいる。
不運にも生まれた国が最悪の環境で、
つねに死の恐怖にさらされながら生きていく人もいる。
言いたい事も言えない圧政の元で苦しむ人たち、
目の前で、腕の中で子供が死んでいくのを見守る人たち。
あげていったらきりがない。


じゃあ、何が出来るというのだ。
こういう事を焦燥感に駆られて声高に叫んでいる人々のうち、
いったいどれだけの人が、身を持って体験しているのか。
募金や援助、みんなできることはやっている。
でもこうした大きな流れの中で私たちが変えられる事はごくわずか。
所詮は対岸の火事でしかないのが現状ではないかと思う。


日本人もアメリカ人も世界規模で考えれば、
とてもとても恵まれている。
ではみんな幸せに暮らしているのだろうか。
世界の恵まれない人々の事を常に考えて、
「幸せ」を常に感じていなければいけないとでも言うのだろうか。
幸せの定義はそんなにシンプルなものではない。
また短い生をまっとうしたり、
空腹感を常に感じながら育った子供達を
不運だ、不幸だと単純に決めつけるのもまた
高いところから見下ろしている者の奢りではないだろうか。
もしかしたら寒さに震えながら、
でも母親にくるまれて泣いている裸の子供の方が、
大きなお屋敷のベッドで親に構われもせずひとりで寝る子供より
ある意味で幸せだということもあるのでないだろうか。


もちろんこんな事は屁理屈だっていうことも承知の上だ。
やはり衣食住が足りていて平和な暮らしをしている方が
普通に考えて幸せだという事もわかっている。



でも繰り返すようだが、人は常に誰かと比較して
生きていくわけにはいかないのだ。

世界中に靴を履く事も出来ない子供達が
たくさんいるんだから、
この子が穴の開いた靴しか持っていなくても
嘆いちゃいけない。
靴があるだけましなのよ。

私が明日死んでも、
世の中には最初から親のいない子がたくさんいるんだから、
この子たちが可哀相なんてありえない。
どうにか生きていくに決まっているわ。

私が病気になっても、
寝るベッドもあるし、痛みを止める薬もある。
病院に行くお金がなくたって文句をいってはいけない。

極端だけど、毎日こんなふうに考えてたら、
頭かおかしくなりそうだ。
人の悩みはそれぞれで、
傍から見れば恵まれていても、
本人にしてみれば追いつめられて崖っぷち、
ということだってあるのだから。



「このような視点から世界を見れば、
いかに相手を受け入れること
相手を理解すること
どのような教育が必要であるかは
火を見るより明らかです」


そんなに単純なものではないだろうとおもう。
私はこういう紙の上、メディアのうえだけでの
形ばかりのお題目がかなり苦手なのだ。
人は限られた範囲で生活し、
その中で悩み苦しみ、笑い、生きていく。
相手を受け入れ、理解するということは、
人間の本能に自然に備わっている事。

その中で私たちにできる最良の事と言えば、
手を伸ばせる範囲内で困っている人、苦しんでいる人を
愛し、助けていくことでいいのではないだろうか。
身の回りの小さな事が出来なければ、
大きな事に手を出すべきではないと信じている。

もちろんボランティアで第三世界に飛び込んで、
活躍されている方は立派だと思う。本当に尊敬もする。
そういう人々から今どこで何が起っているのかを
知る事も大切なのはわかっている。
でも事実だけを情報として受け取ったら、
あとは個人がそのメッセージを消化すればいいのではないだろうか。


逆にそれを振りかざして
「あなたは幸福な人間だという事を知らなくちゃいけない。
嘆いてはいけない。世の中にはこんなに不幸な人がたくさんいるのだ」
というメッセージが私はあまり好きではないのだ。
そういう意味でもう何年も前から時折目にする
この「100人の村」には私はあまり共感できないのだ。



最後に。
リンクしてくださった方、本当に申し訳ありません。
ただこれは自分の正直な感想であり、
ずっと前から感じていた強い違和感を表現する
いいチャンスではないかと思ったのです。
もちろんこれはひねくれ者の一意見であり、
こうした考えを持たずに本当に感動して
その後の人生が変わる方もたくさんいらっしゃると思います。
でも私は私でこういう世界があるという事を理解した上で、
やはりこのコンセプトには共感が持てないのは何故かということを、
自分でも文字にする事でスッキリしてみたかったのでした。






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Last updated  2006.02.06 10:16:40
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