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カテゴリ:コドモの話、親の話
最近トシとったせいか、やたらと昔のことばかり、
ふと気がつくと物思いにふけてしまう。 先日も具合が悪くて、子供たちはアフターケアに行ってもらい、 子供のクラスのお母さんにドロップオフしてもらって 私はちょっと昼過ぎから横になって寝ていたんだけど。 3時頃、ふと目が覚めた。 夢を見ていたのか、なんか自分が今寝ている状況がわからない。 何時なのか、どこなのか、誰かいるのかいないのか。 目の前の白い壁を見ていたら、実家を思い出した。 豆腐屋さんのラッパの音が聞こえて来るような気がした。 酒屋さんの配達の音が聞こえて来るような気がした。 はっと我に返ったら、ものすごくホームシックに陥った。 今、長男は11歳だ。 父が亡くなった年、私は11歳だった。 一番下の弟は8歳だった。次男が今8歳だ。 だから今の子供たちを残して逝ってしまうようなものなのだ。 家は団地で、とてもせまかった。 お風呂もついていなかったので銭湯だった。 (今は改築されてお風呂もついている) 母は働きに出てたから、いわゆる鍵っ子だった。 家に電話もなかったし、生活保護も受けていたから貧乏だった。 今、家の広さはあの頃とそれほど変らないかもしれないけれど、 まあ、せまいけどお庭もあるし、ガレージもついてるし、 何より車ももってるし(てか、無しじゃ生活できないし) 電話もコンピューターもネットもあるし(笑)、 私は働いてはいるけれど、子供は鍵っ子ではないし。 なんだ、うちの子、ずいぶん恵まれているなあ。 私の母の作る食事はそれほど豪華ではなかった。 もっともどこの家も似たり寄ったりの時代だし、 特にうちは母子家庭だったし。 夕飯がふかしたジャガイモだった晩もある。 それが実はすごくおいしかったのだけど。 月に2-3回の楽しみはお約束のカレー。 日曜日の朝のお楽しみはトーストと目玉焼きとコーヒー。 (それ以外の朝ごはんは和風) 母はあまり料理の好きな人ではなかったし、 わりとワンパターンだったけど、 特に不満に思ったりした覚えはない。 今、うちの子供たちは好物がでるとを大喜びし、 好きじゃないものが出ると、文句は言わないが、 なんとなく静かに食べている。 あんな感じだったんだろう。 子供って案外不満は言わないものなんだよね。(笑) それでも大違いなのは外食の頻度。 私は高校生になるまで、ほとんど外食というものをした記憶がない。 それこそ年に1-2度あるかないか、じゃなかったろうか。 うちの子供たちはしょっちゅうだ。 月に1-2度はあるかもしれない。 ランチも入れたらもっとあるかも。 私が働いているのは言い訳にならない。 母だって働いていたのだから。 しかも私は毎日じゃない。 週に1-2回は子供たちは元夫と食べるのだから。 で、何かとりとめがないけれど、 私は子供の頃不幸だったのか。 全然そんな事はない。 子供心に「こうだったらな、ああだったらな」と 夢想していた事はたくさんあるけれど、 やりたいこともたくさんやったし、 妹弟もいたし母もいた。 毎日外でたくさん遊んでいたし、近所の友だちもいっぱいいた。 ご飯もたくさん食べて、本や漫画もたくさん読んで。 それなりに幸せな子供時代だったんじゃないかな。 息子たちが大きくなって子供時代を思い返す時、 どんな事を思い出すのだろう。 いやいや食べさせられたごぼうやれんこんか。 こたつに肩までもぐって本を読みふけった事か。 母親に毎日ガミガミおこられていたことか。 家の周囲1ブロック限定で自転車を乗り回した事か。 それとも金魚やギニアピッグの「まんご」のことか。 願わくば「それなりに幸せだったのかも」と思ってほしい。 「すっごく」でもなく「全然」でもなく「それなり」で。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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