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カテゴリ:学ぶこと
親戚のお墓参りの帰りに 少し寄り道をしてみました。 「予科練平和記念館 HP」 「若鷲の歌」 作詞 西条八十 作曲 小関裕二 若い血潮の 予科練の 七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でっかい希望の雲が湧く 燃える元気な 予科練の 腕はくろがね心は火玉 さっと巣立てば 荒海越えて 行くぞ敵陣なぐりこみ 仰ぐ先輩 予科練の 手柄聞くたび血潮が騒ぐ ぐんと練れ練れ攻撃精神 大和魂にゃ敵はない 「予科練」とは 「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で 第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり 欧米列強に遅れまいとした旧海軍が より若いうちから基礎訓練を行なって 熟練の搭乗員を多く育てようと 昭和5年に教育を開始しました。 14歳から17歳までの 少年を全国から試験で選抜し、 飛行予科練習制度が始まってから 終戦までの15年間に 約24万人が入隊し、うち2万4千人が 飛行訓練生課程を経て 戦地に赴きました。 記念館の中に入ると 写真撮影は厳禁、私語は謹んで。 コロナ対策もされていて 入場者の人数も制限されていました。 予科練の「若鷲の歌」を改めて 文字におこしてみると その時の予科練生の気持ちや思いが よく表されていると強く感じました。 「七つボタン」は当時の少年たちにとっては 憧れでもあった訳ですが 年齢がひどく若いにも拘わらず 両親に宛てた手紙などを 拝見してみると なんと、文字が綺麗なのでしょうと 思いました。 文面もしっかりして現代の大人でも こんなに心のこもった手紙を書ける人は そうはいないかも知れないとも 思いました。 今の子供たちの文字は 大概、うまくはありませんね〜 それに尊敬語、丁寧語、謙譲語なども 全然分かっていないし‥ 記念館の中では 記録映画が7〜8分あります。 胸を打つ言葉や映像を見ていると ウクライナとロシアの戦争が 重なって、77年前も今もあまり変わらない‥ もしかしたらこれから 日本でも‥とふっとそんな事が 脳裏を横切りました。 屋外には 零戦の巨大模型が外に置いてありました。 ゼロ戦21型は日本海軍の艦上戦闘機として 昭和15年から昭和19年の間に三菱と中島飛行機で合せて 約3,500機が製造されました。 命の尊さ。 どう生きるのか‥ はたまた、どう死ぬのか‥ すっかり平和ボケになり 感染症すらあまり気にしなくなった日本人。 なんでも緩くなって 礼儀も礼節も言葉遣いも 態度も身なりも自分本位で 個性を大事にとか言って 自由、気ままがNO.1で闊歩している。 それで良いのかしら‥ 人として大事なことはなんなのでしょう‥ ただ、此処に来て この記念館の中で美しい日本を 感じたことは確かだったように思います。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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