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新 緑仙の日々是好日

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R.咲くや姫

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2024.10.04
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カテゴリ:学ぶこと





「天璋院」は江戸幕府第13代将軍「徳川家定」の正室で、
「篤姫」の名で知られる人物です。
2008年(平成20年)に放送された
NHK大河ドラマ「篤姫」の主人公で、
女性層から支持を得て高視聴率を記録したことでも
大変話題となりました。





ところで、
江戸幕府は第3代将軍「徳川家光」以降、
将軍の正室には皇族か公家の娘を
迎えるというのが慣習になっていました。
では、なぜ篤姫は、
大名家の出身でありながら
将軍家に嫁ぐことができたのでしょうか。


その前に
篤姫の生い立ちを軽く
説明しておきます。


1835年(天保6年)に薩摩国(現在の鹿児島県)の
今和泉(現在の鹿児島県指宿市)の領主である
「島津忠剛」の長女として誕生しました。
生母は島津一門出身の「お幸」で、
幼名は「一子」(かつこ)と名付けられています。


外様である島津家には特殊な前例があり、
第11代将軍「徳川家斉」の御台所である「広大院」は、
もともとは「茂姫」という薩摩藩島津家の娘でした。



島津家は五摂家、筆頭の近衛家と、
鎌倉時代から深い関係を築いていました。


そこで、茂姫は近衛家の養女となり、
将軍家に嫁ぐのにふさわしい家柄となったことで
輿入りを成立させます。
篤姫も茂姫と同様の手順を踏みました。

大河ドラマの中でも篤姫の台詞にありますが

「私は父上が3度も変わるのですね。」

そうですね。
島津今泉家の長女から
島津本家島津斉彬の養女、
そして、
京都の近衛家の養女です。


あっそうそう「広大院」は
あの、たっくさん子供を産ませた
11代将軍家斉の正室です。


さて、
篤姫が縁談の準備をしていた頃、
世の中では黒船来航や、
天保の改革、蘭学者弾圧、
第12代将軍の「徳川家慶」が亡くなるという
混乱が続いていました。

これは、大混乱ですね。



縁談話が持ち上がってから5年が経った
1856年(安政3年)11月にようやく篤姫は
正式に将軍である徳川家定の正室となりました。
こうして、篤姫は22歳で将軍家へ嫁ぎました。





嫁いでからも
慣れない大奥生活を送るうちに
1858年(安政5年)7月に将軍の徳川家定が急死し、
この直後に養父の島津斉彬も亡くなってしまいます。
篤姫が輿入りしてから、
まだ1年9ヵ月しか経っていませんでした。


悲しみに暮れる篤姫は、
24歳という若さで落飾し
「天璋院」となるわけです。



そして、
あの井伊直弼がこう唱えるのです。
「公武合体」
1862年(文久2年)には
将軍職を継いだ「徳川家茂」が正室を迎え、
大奥に新たな波乱を巻き起こしります。
幕府の公武合体政策の一環で輿入りした
「和宮」は、「仁孝天皇」の皇女であり、
姑である天璋院は
家柄の差から
和宮との関係に悩やむことになります。





この辺りが
よくドラマで演出されて
面白く演じられます。

第14代将軍 家茂も若くして
1867年(慶応3年)に病死してしまいます。

徳川家茂の跡を継いだ最後の将軍「徳川慶喜」が
「大政奉還」を行い、
大奥の天璋院と和宮は
薩摩や朝廷へ徳川救済の嘆願に奔走しました。
そのあと、江戸城の開城を前に大奥から立ち退き、
34歳の天璋院は幕府解体後も
江戸に残る選択をしました。

一橋家の屋敷内で暮らし
13代将軍の実母 本寿院
14代将軍の実母、実成院の面倒も
よく見ていたと記録されています。


篤姫は
大奥最後の日まで
大御台所として江戸城の最後を
見届けることになりました。





まぁ、こんなにも
波乱の人生を送った女性も
少ないと思います。

時代が大きく変わる、
その一番の要因は「身分制度」が
無くなったことのように思います。


江戸時代もいよいよ
終盤です。
大奥は
13代将軍、14第将軍、最後の将軍と
あっという間に過ぎてゆきます。


次回は、公武合体や桜田門外ノ変なども
交えながら、江戸時代を学んでいきたいと
思っています。






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Last updated  2024.10.04 12:50:07
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