新 緑仙の日々是好日(針供養)
洋の東西を問わず、人類の歴史のなかで「針」は重要な位置に存在し続けている。針は、縫い物だけに使用するものではなくその用途はいろいろである。日本人は「八百万の神」や「草木国土悉皆成仏」などの信仰心的な考えから「全てのものには命が宿る」と長い時間の歩みの中でその「もの」への思いを培ってきた。愛玩具や生活必需品を大切にし、やがて、時代が室町期を過ぎると、役目を終えた諸々の「もの」を感謝の意を持って弔ってきたと云う。それが「供養」である。折れたり、曲がったり、使えなくなった針を豆腐やこんにゃくに刺して「これからは、柔らかいところでゆっくりお休みください。」と祈りを込める。そしてまた、自分が一所懸命に精進して縫い物が上手になりますようにと願いをかける。とても、謙虚で慎ましい美しい行いに思う。さて、日本には、数多の「供養祭」がある。人形供養、箸供養、花供養、下駄供養、海苔供養、すっぽん供養、紙供養、筆供養、煙草供養などなど優しい日本人の心はこうした伝統的な行事に支えられて育っていったやも知れません。それは、もしかしたら「勿体無い」にも繋がっているような気がします。庭のピンクの枝垂れ梅が咲きました。昨日の強風には驚きましたが、春色や春の匂いが開いてくる「針供養」の一日です。針に「ご苦労様」と言いながら、針箱を整理しましょう。にほんブログ村にほんブログ村