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カテゴリ:旅行記
話は前後してるけど。
アルルの跳ね橋から市内に移動。ゴッホの入院した病院の1階を見る。 市庁舎を見るへ。市庁舎前の広場にはオベリスクがドーンと建ってる。 カメラに収めるの一苦労だ。 その後サン・トロフィーム協会を見る。 正面に聖人がいて、協会の左右の壁にたくさんの人がいる。 左の人達は審判待ちで、真ん中で審判にかけられる。 地獄行きの人は右側へ。腰に鎖というかひもをつけられ連行されてゆくようだ。 その後ラマルティーヌ広場へ。 ローマの柱を一部分使った建物がある。 その前には銅像が。(名前を失念。失礼なのでまた調べよう) で、その近くに星空のカフェがある。 アルル市内でハセガワさんが「この道は昔からの道です」と石畳の道を指差し。 石畳の道の中央部分にはまるでセンターラインのように四角い石が並び、その 部分はV字型に凹んでいる。ちょうど真ん中の部分だけ谷折りにした感じ。 説明によると昔フランスは(と言ってもどこもか)下水や汚水を流す設備もないので 汚物や汚水、食べ残しなどは2階の窓から道の中央に向かって投げ捨てたそう。 なので真ん中が凹んでそこに集まるようにしたとか。 そういや、お金持ちは道歩かないで馬車で移動したり、ハイヒールが作られたわけって たしかこんなことからだったとなんかの本で読んだ気がする。 だけどそんな昔からの道が今も使われているなんて 今の時期道路工事しまくりの日本なんか考えられないことだなあ。 その後歩いて円形闘技場へ。 円形闘技場は一時期城壁の代わりにされ、中に町が作られたそうな。 日本では戦国時代敵が攻めてきて負けたなら、殿様とその一族が処刑されて 民はそのままだけど、フランスの場合は民も皆殺しか奴隷にされる。 だから、日本では城の周りに城壁や堀があったけれど フランスでは城壁があって、その中に町が作られたそう。 しかし、大砲の発明によって城壁を飛び越えて攻撃された為 城壁は意味をなさなくなり、しだいに作られなくなったとか。 で、円形闘技場のその後だが、作られた町は取り壊され元通りに。 現在はスペインからマタドールを呼んでアルル風の闘牛を開催するらしい。 円形闘技場の壁にはマタドールの大きなポスターがあった。 アルル風の闘牛はスペインのように剣で牛を倒すものではなくて 角にリボンをつけ、それを取るという物。 危険度はアルルの闘牛が非常に高く(牛弱らないし)毎年死者がでるそうな。 円形闘技場周りは非常に寒く、ミストラルと呼ばれる風が吹きまくり。 中に入っても弱まるどころか高いところに上るとまるで台風のような突風。 手すりもないので非常に怖かった。 こんな大きな石の建造物を造るとはすごいなあ。 上から見ても全部石(当たり前だ)。 あまりに寒くて相方トイレに行く。 私は行かなかったがふと見ると右が男性用だった。 あれ?左から出てきたけど?? 相方どうも間違えたよう。中に人がいなくてよかった。 別にいても気にしないのかも、と後日思うとはこの時は予想しなかったが。 近くに古代劇場もあり、見に行く。 有料なんで外から覗いてみたが円形闘技場のように建造物はなかった。 散策してみたが円形闘技場を離れるに従って店もなくなる。 そういやバゲットを片手に歩くおじさん多いなあ。 日本みたいに包装ばっちりじゃなくてそのままで。 集合時間も近づいてきたので元の場所に戻りハセガワさんと話する。 これも後日談で。 続きと写真はまた明日に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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