Q 大津皇子の移葬
A 天武天皇の死後、天智天皇の娘、持統の我が子可愛さの余りの陰謀で謀反の罪を賜り殺された大津皇子は
葛城の二上山雄岳山頂に移葬され、姉の大伯皇女の詞に詠まれ、
「うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山を 弟背(いろせ)とわが見む」
移葬は正史に載らず、万葉集に亡骸を移葬し奉った、歌意は、肉体を持った私は明日からは弟弔う、戒名は桂岩院殿月正清佳大姉。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 17, 2011 06:01:16 PM
コメント(0)
|
コメントを書く
もっと見る