テーマ:文学・歴史(104)
カテゴリ:歴史
この年になると過去の歴史を調べたり読む事が多く、勉強になっている。
まぁ学生時代は“歴史”ってあまり好きじゃなかったから、新しい発見が殆どだったする('∀`) そこで、週刊ポストで韓国から見た今の日本について、過去と今では感じ方が違うんだな~と思って読んでました。 やはり韓国(朝鮮)は日本に対して、侵略や虐待などといった悪いイメージが蔓延っていて、何かあれば、国旗である日の丸を焼いたりしてる姿をよく見る。 その内容はというと ほとんど学ぶ機会のない、両国の意外な歴史を解き明かす、「そうだったのか! 正しい朝鮮史」。 今こでは、18世紀につくられた「朝鮮通信使」につづられた日本人観を紹介しよう。 当時の朝鮮人、特に朱子学を信奉する朝鮮の文人から見れば、日本は中華文明を十分に受けていない島に住む野蛮人に過ぎないという意識が強かったようです。 朝鮮通信使も日本の風俗を儒教の道理から外れた野蛮なものと見ており、さらに織田信長が倒れて、日本の支配者となった豊臣秀吉は今度のターゲットとして現在の中国(明)の征服を企て侵略を開始したことが、更にその気持ちを高めたんでしょう。 その征服と言われる戦争はというと・・・。 文禄の役1592~1593 慶長の役1597~1598 このコースで朝鮮と中国の連合軍と戦い、陸上軍の猛攻は凄かったらしい。 しかし、水軍の勢いが悪く壊滅し制海権を失ったことからどんどん日本が衰退し、さらには秀吉も死んでしまい、敗北したが、その時の侵略残虐に対する怨念を抱いていたという。 それらから、朝鮮通信使が書き残した紀行文には日本の風俗を蔑視したり嘲笑する内容が随所に見られるようだ。 更に日朝友好の証としてよく引用される申維翰(1748年に来日)の紀行文『海游録』にも日本の風俗を指して「禽獣に等しい」と評した部分がある。 ただし、朝鮮通信使も日本のことを嘲笑ってたわけでなく、都市の繁栄や女性の容姿、山河の美しさ、技術の巧みさなどについては素直に賞賛しているんですね。 1753年に朝鮮通信使の三房書記として来日した金仁謙も富士山を絶賛 大坂の発展ぶりを 我が国の鍾路(ソウルの大路)の一万倍も栄えている」「一行中に北京に行った訳官(通訳)がいたが、その壮麗さもこれほどではなかったという」 などと手放しで絶賛。 大坂の繁栄ぶりについては1711年に来日した任守幹も「家々の大きさと繁栄ぶりは中国の大都市も及ばぬほど」 と評している。 金仁謙は尾張名古屋で見た当地の女たちを楊貴妃、趙飛燕に例えて賞賛し、 「美しさに恍惚となる」 とまで記している。 本当か?って思ってしまうけど・・・。 でもね~北朝鮮はちょっと危険ですが、韓国とはもっともっと仲良くなりたいですね!台湾のように・・・。 ここに登場する“大坂”?大阪の間違いではないか??って思い、ちょっと調べてみた。 “ニコニコ大百科”より 大坂(おおざか、おおさか)とは、大阪の古称。 「坂」の字が「土に返る」、もしくは「士に反する」と分解できることから縁起が悪いと考えられていた。 そこから「阪」の字を使うことが多くなっていき、現在では「大阪」が定着している。 但し、大坂城や大坂橋、大坂の陣など現在もこちらで表記されるものもある。 なるほど・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|