忘れないJくん
よしが私と結婚する前から彼にはルームメイトがいた。名前はJくん会社の後輩よしはJくんをとてもかわいがって!?いた 私は結婚前、ハワイからFRESNOに遊びに来たときに初めて紹介され彼と食事をした。笑顔が似合う好青年でゲイから好まれそうな雰囲気のある29歳でした。彼の実家も商売をされていて長男の彼は将来実家のあとを継ぐことになっていてそれまでの間、アメリカで修行、経験をつぐということでした。私が02年にここに引っ越してきたときも同じアパートで3人で暮らすといくとこで暮らし始めました。引っ越したのが3月、私は食事係で3人のご飯を作ってました。若くて働き盛りだったせいかご飯はどんぶりで2杯はたべてました。カレーの時は特に3杯は食べてたんですよ 私も『おいしい、おいしい』といってくれてる彼らに乗せられて腕によりをかけて作ってましたよ その楽しい3人の共同生活は長くはなかっです。6月に発病して7月には手術 胃がんでした。若かったので胃を全摘してもリンパに転移してました。こっちで彼の家族が交代できて彼の退院後近くにアパートを借りました。胃を全摘したにもかかわず10日間で退院されられ自宅で通院しながらのキモセラピー(照射療法)が始まりました。その間、私にできるとこはお料理を運んであげることくらい、、キモセラピーの副作用で髪の毛も抜け見てるだけで辛かった。3回くらいのタームを終えたころ、彼のお父さんも胃がんで入院しているということがわかりました。看病をしていたお母さんは一時帰国、彼女に代わり彼の妹のK子がきました。キモセラピーとあわせて行った放射線治療が彼を限界に追い込んで食事もできず再入院こっちで直すという彼の意向が次第に弱気になってセラピーの方に日本に帰りたいと打ち明けるようになり、結果彼の気持ちを汲んで彼のお母さんが彼を迎えにきてアメリカをあとにしました。私も乗りかかった船で私も日本にJを送ってあげたい!ってことをよしに相談したら社長に相談して一緒に付き添って日本に帰ることができました。日本に帰るころは彼の体型は以前の半分くらいになってました。それからも病院に見舞いにいき翌年の春Jのお見舞いに行きいとよしに相談したらすんなりOKしてくれて成田に夕方の便で着き当日は東京で1泊して翌日、彼の会社の人と待ち合わせしてみんなでお見舞いに行く予定でした。以前東京に住んでたこともあるので東京の友達と久しぶりにあって食事をしてホテルに戻ったらメッセージランプが点灯してました。メッセージの内容はJが夕方亡くなったということでした、、、涙がとまりません 空港から直行すれば会えたのかなーとか色々考えて大声で泣きました。翌日冷たくなった彼に会いに行きました。30歳では早すぎる死でした。あれから月日がたちましたが今でもJのことは忘れないし、忘れることが出来ません。よしとJは天国で何してるんだろーってよく話します。