カテゴリ:小説もどき
「―――死なないで、北見君」 大変申し遅れて恐縮であるが、僕の苗字は北見という。 いやそんな自己紹介など今はどうでもよろしい。 今僕の個人情報より重要なのは、 その1、彼女は誰か。 その2、彼女はどうして僕の名前を知っているのか。 その3、彼女はどうして僕が死のうとしていることを知っているのか。 他にも、なんで彼女はこんな朝早くに屋上にいるのかとか、 彼女は僕がここに来ることを知っていたのかとか、 疑問点は探せば山のようにあるのだが、謎ベスト3はこれらだ。 3つに絞った理由は特にないが、とりあえず、3つだ。 2. 屋上コンタクト(後編) 疑問その1とその2はすぐに解決した。 彼女が近づいてきて顔がはっきりと見えたとき、 最初は誰だか分からなかったが、すぐに分かった。 彼女は僕のクラスメイトの結城だった。 僕と結城は特別親しいわけではないし、会話を交わしたことすらないと思うが、 結城とは小学校の頃から同じ学校で、 一、二回同じクラスになったこともあったので、名前は知っていた。 向こうも、僕の名前くらい知っていてもおかしくない。 しかし、疑問その3は解決しない。 クラスメイトだから僕が死のうとしているのを知っている、 という因果関係には無理がある。 クラスメイトどころか、学校の誰でも、日本の誰でも、世界の誰でも、 僕が死のうとしていることを知っているはずがない。 だって誰にも言ってないもん。 「結城、なんでそれを…」 結城は、その質問にすぐには答えなかった。 そして、今思っていることを言うべきかどうか迷うような表情をしたあと、 彼女は小さくこう言った。 「読めるの」 「え?」 聞き取れなかったわけではないが、意味が分からなかったので聞き返した。 結城は、今度ははっきりと、力強い声で答えた。 「私、人の心が読めるの」 この結城の言葉に対し、 「は?何言ってんのお前」とかあきれてみたり、 「いやいや、そんなことあるわけないだろう」とか疑ってみたりするのが 一般人の一般的な対応だと思われるが、 僕はこの時点で既に、彼女の言葉をほとんど信じていた。 それは何故かというと、全く他人に口外していないことを知られていたということも もちろん理由の一つとしてあるのだが、それよりなにより、 僕を見つめる彼女の目がとても真剣で、 嘘やでたらめを言っている人にこんな目が出来るはずがない、と 本能的にそう思ったからである。 とはいえ、これほど大胆なカミングアウトをされたからには、 とりあえず一度疑ってみるのが礼儀であると思われた。 「…嘘、だろ?」 結城はその質問には答えなかった。 その代わりに、彼女は淡々と語りだした。 「北見君は、数年前から家庭の問題に悩まされていた」 まるで教科書を朗読するかのように話す彼女の顔は、 決して自分だけが知っている知識をひけらかし問い詰めるようなものではなく、 どこか悲しさの伴った、申し訳なさそうな表情をしていた。 「それはずっと北見君の大きなストレスとなっていたのだけれども、 北見君は頑張ってた。弱音を吐くことも、愚痴をこぼすこともなかった」 僕は黙って聞くほかなかった。 「けれど、二週間前の春休み、事件が起こった。 北見君はそれでも、なんとか頑張ろうとした。 春休みが明けて、学校に行くかどうか悩んだけど、 学校に行けばその苦しみも紛れるかもしれないと思って、ちゃんと登校した。 だけど、駄目だった。 無理をして押し殺すには、その心の傷は深すぎた。 北見君は、自らの命を絶つことに決めた。 そして昨日の国語の時間、具体的な計画を立てた」 そこまで言うと彼女は口をつぐんだ。 もはや僕には、先ほどの彼女のカミングアウトを疑う余地はなかった。 なぜなら彼女の言葉は、全て紛れのない事実だったからである。 目の前に人の心を読める少女がいる。 その僕が置かれた状況はあまりにも現実離れしすぎていて、 僕はもう既に死んでいて、ここは死後の世界なのではないか、とまで思った。 そしてその人の心が読める少女が、僕に向かって「死なないで」と言った。 だけど、僕はそこで立ち止まるわけにはいかなかった。 何度も自問自答し、その末に出した答えだった。 例えここが死後の世界であろうと現実であろうと、 僕はフェンスをよじ登り、ここから飛び降りなければならなかった。 そうだ。これは鋼鉄のように固く、揺るがない僕の意思。 「結城、ごめん。だけど、もう決めたことなんだ」 「…他に選択肢がないから?」 「ああ」その通りだ。 少し間をおいて、結城が口を開いた。 「…私ね、北見君の力になってあげられるかもしれないの。 他の選択肢を、作ってあげられるかもしれない。 私は、今までずっと必死で頑張ってきた北見君を知ってる。 一人で頑張ることに限界が来たのなら、 私も一緒に頑張る。 …だから、死なないで、北見君… お願い…」 そう語る彼女の眼には、涙が浮かんでいた。 しゃべり終えた後も彼女は、流れる涙を拭うことはしなかった。 その涙と一緒に僕の悩みも流れていった、ということはさすがになかったが、 僕の鋼鉄のように固く揺るがないはずだったあの決心は結城の言葉によって、 いとも容易く、ふにゃりと折れ曲がったのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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