カテゴリ:小説もどき
毎日、僕の両親の間には言い争いが耐えなかった。
時には大喧嘩になることもあり、 父は食器を割り、 母は携帯を折り、 父は壁に穴を穿ち、 母は窓からパソコンを投げた。 放り投げられた湯飲みが居間のテレビの液晶の右上に当たって、 テレビをつけるとその部分が紫色に変色してしまっていたときは さすがに僕も黙っていられなかったが、 あの激戦の中に割り込んで仲裁できる者なんていない。ターミネーターぐらいである。 それくらい僕の両親は、仲が悪かった。 3. 妙技カウンセラー 自転車の二人乗りは、法律で禁止されている。 僕たちはそれを知っていたので、 僕は自転車を手で押しながら、結城と歩いていた。 屋上であの後結城は、僕の母に会いたいと言ってきた。 「それ、本気で言ってるのか?」僕は聞いた。 彼女は本気だった。 「北見君のお母さんに会って、話がしたい」 結城は、僕の家庭事情について全て知っていた。 僕の両親の不仲も、春休みに起きたことも、全て。 今年の春休み、僕の両親は離婚した。 いつかはこうなることは覚悟していたので、大きなショックは受けなかった。 逆に、今まで良く我慢して一緒に生活してきたものである。 一人息子である僕は母に引き取られ、父は家を後にした。 家族がバラバラになるという感覚に胸が痛くなったりもしたが、 これからは毎晩の喧騒に耳を塞ぐこともない、平和な日々が訪れるのだと思うと、 気が楽になった。 しかし、それは大きな間違いだった。 離婚後、母は変わった。 ほとんどしゃべらないし、笑わなくなった。 何の前触れもなく、僕に向かって怒鳴り始めることもあった。 情緒不安定というやつだろうか。 離婚をきっかけに、今まで蓄積していた何かがふっきれたのであろう。 それでも僕は、なんとか耐えていた。 しばらくすれば母も落ち着くだろう、そう安易に考えていた。 しかし離婚後一週間ほど経ったある日、母の口から出た言葉は僕の心を粉砕した。 「あんたさえいなければ…」 諸君は、手を滑らせてガラス製のコップを割ってしまったことがあるだろうか。 そのときの音がした。 僕さえいなければ、両親は離婚せずにすんだのだろうか。 毎日の喧嘩も、僕が原因だったのか。全ての元凶は僕? そのときの僕は、精神的に参っていた。 ゆえに僕の頭の中では、 そのようなネガティブな推測が雨後の筍のようにニョキニョキと顔を出し、 僕の心はネガティブチョコレート味のたけのこの里と化した。 そして、ついにその思考は、自殺にまで及んだ。 僕の心はネガティブたけのこに支配され、そこに僕の居場所はなくなっていたのである。 結城と母が接触することでこの問題が解決されるとは思えなかったが、 今や僕は心をふにゃりとへし曲げられた男である。結城に従うほかない。 かくして僕たちは、朝の通学路を家路へと逆行しているのであった。 その道中、結城は自分の特異なる能力について少しばかり僕に教えてくれたのだが、 そのすべてをここに書き出すとお話が一向に進まなくなってしまうので、 彼女の能力については、また次の機会に詳しくお伝えしようと思う。 というわけでこの場面は早送りして、 僕たちが僕の家に到着したところで、再生ボタンを押すことにする。 さて、健全な男子高生が女の子を自宅に招き入れるという行為は、 それ自体この上無きドキドキイベントであるのだけれども、 言うまでもなく、僕は違う意味でドキドキしていた。 結城は、僕の母に会って一体どうしようというのだろう。 「お邪魔します」 僕の心配をよそに、結城は凛とした顔で僕の家に上がる。 母は、家にいた。 居間の机で朝刊を読んでいる。 僕たちに背を向けた形で座っているので表情は分からないが、 息子の早すぎる帰宅も、突然の来客も、まったく気に留めていない様子である。 結城は僕の方に一度振り向き、 「では行って参ります」と言わんばかりの決意のこもった目を僕に向けた。 僕も「よし、行って来い」という激励の目を向ければ良かったのであろうが、 あいにく僕はそのような目ヂカラを持ち合わせていないので、 これからどうなるのか不安で狼狽した目をするのに精一杯である。 そして結城は母の斜め後ろに正座する。 僕はそのさらに後ろで棒立ちだ。 母が新聞の頁をめくる。 結城が口を開く。 「北見君のお母さんは、旦那さんのことが、好きだったんですね」 僕には結城が何を言っているのか分からなかったが、黙って聞くほかない。 「お母さんは、結婚して何年経っても、旦那さんのことが好きだった。 いくつ年をとっても、出会った頃のような二人でいたかった。 でも、北見君のお父さんは変わった。 以前は優しかったのに、だんだんお母さんに対する態度が冷たくなった」 結城によると、母は、優しき父との幸せな生活を常に望んでいたという。 しかし、父の母に対する愛情は、時間とともに薄れるばかりだ。 父の冷たい態度に不満をこぼす母。 その不満に食って掛かる父。 両親の喧嘩の出だしで、しばしば見られる構図である。 全ての喧嘩の原因は、母の父に対する愛情だというのか。にわかには信じがたい。 「北見君のお母さんは、出会った頃のように、 旦那さんと楽しく笑い合えるような日が、 いつかまた来ることを信じていたんですね」 しかし、その夢は果たされることなく、両親は離婚した。 変わらぬ想いと、変わってゆく想い。 絶えず手を伸ばし続けた幸せの光は完全に消え失せ、母は失望し、虚脱した。 「結婚する前、北見君が産まれる前の頃に戻りたかった。 だから北見君に当たってしまった。 そんなことをしても意味がないと、本当は分かっていたのに…」 気づけば母の新聞をめくる手は止まっており、 その代わりに、新聞紙の上が数箇所、濡れていた。 結城は、肩を震わせて泣く母の背中に手を回して、言った。 「お母さん、本当は分かっているんですよね。 あの日の旦那さんが、もう戻って来ないってこと。 でもね、お母さん。 あなたがまたあの時みたいに幸せになれる方法、まだあると思うんです」 僕の家に、カウンセラーがいた。 しかもかなりのスゴ腕である。 それも当然だ。 なんせ彼女には、人の心が読めるのだから。 「お母さん、知ってました?」 結城は優しく微笑んで、母に語り掛ける。 「息子さん、旦那さんにそっくりなんですよ」 四月のやわらかい風が、湿った新聞紙の上をそっと撫でた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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