鹿児島観光
九州紀行のラストを飾るのは薩摩の歴史! 薩摩のヒーローといえば! 『西郷隆盛公』ですよね。 今は、篤姫もランクインしそうですけどね! 今回は時間が足りず、西郷さんの足跡のみをたどってみました。 明治維新のクライマックスともいえる西南戦争の傷痕が随所に見えました。熊本城もその一つでしたね! 西南戦争時の銃弾跡がお城の壁にびっしりとありましたよ~~ ここは西郷さんが設立した『私学校』の壁でもあり、 明治7(1874)年6月、旧薩摩藩の居城・鶴丸城の厩跡(うまやあと)に設立しました。 この私学校は砲隊学校と銃隊学校及び賞典学校からなっていたようです。 このお城の上には城山があり、そのふもとの洞窟に西郷さんが追い詰められ隠れていたようですね。 官軍六万人に対して薩摩軍は二万人プラス民兵1万人の合計三万人 それに加え、官軍の戦費は4,156万7,726円に対し薩摩軍70余万円。 圧倒的な戦力差もあり、負けを悟った西郷隆盛公。 この写真の場所で最期を飾りました。 流れ弾が当たり、肩と右足付け根を貫かれ、 がっくりと膝を落とした西郷の最後との言葉。 自分の傍らにいた別府晋介(べっぷしんすけ)に対し、 「晋どん、もうここいらでよか・・・」 別府はその西郷の言葉に「はい」と返事してうなずき、 涙を流しながら刀を抜き、 「ごめんやったもんせ~」 と大きく叫んで、西郷の首を落としたそうです。 西郷隆盛、49歳の生涯の幕切れでした。 城山から眺める桜島 この山は当時も静かに日本の歴史を見守っていたのでしょうね 今回の旅行はほんと~~に良い体験ができました。 最後までお読みくださりありがとうございます!