|
テーマ:見上げた空はどんな空(1469)
カテゴリ:エッセイ
誰でもが一度は考えたことがありますね。
「宇宙の向こうはどうなってるの?」って。そして誰でもが考えるからすごいことなのです。 これは、私たち個々が持つ永遠のテーマかもしれませんが、ここ10年ぐらいで少しわかってきたことがあります。今日はそんな話をしましょうね。 世界は象が支えていた時代がありました。その時には「宇宙」などは存在せず、星の住む世界が私たちのを取り囲んでいたのです。人間はその程度の世界観をもっていました。 そう、人間は悲しいかな 「観測出来ないもの」=「知らないもの」=「存在しないもの」=わずらわしい事 だと決め付けてきました。 しかし、私達が知ろうが知るまいがこの世界は存在する! ここがとても大きなポイントであり、それを認識することとは「知ろう」とすることであり、「私は知らない」ことを認識することなのです。 人は昔から観察できるもののみを信じて、その中に潜む大切なことに目をそむけてきたようです。それは、実在するものや法則を無視することでもありました。 釈迦は自分の寿命を法華経の中で説いています。そして、それは私達が考えることも出来ない世界観でもあったのです。 ここで説かれる「一功」(いっこう)という数字があります。 一劫とは? 直径が約160キロにもわたる岩山があったとします。 その岩に数年に一度だけ天女が降臨して羽衣で撫でます。 そして、いつしか岩は磨耗して無くなるのです。 その岩が無くなるまでの時間が一劫なのですが、これはものすごい時間の流れですね。 *********************** そして、釈迦の寿命がはじまります。釈迦の口頭説明でお聞きくださいね。 「私が出現し、そして人々に仏と呼ばれることとなったのは無量無辺百千万億劫の昔のことである。」 (これは無限をも超越する時間の流れだと思います。初めがないくらいの時間だね。那由他ナユタとは億や兆のずっと上の数の単位だね。) 「例えば、あなた方が認識できる全ての世界を砕いて塵にしましょう。そして東方に五百千万億那由他阿僧祇(これも数の単位)の国を過ぎてその塵をひとつだけ置いてください。」 「このようにして、全ての塵が無くなるまで行います。」 「そして、塵を置いた世界と通り過ぎた世界がありますが、その全てを再び塵に砕いてください。」 「その塵の一微塵を一劫という時間の流れだとしましょう」 「わたしが成仏してから今まで経った時間というものは、その粉末の数の劫よりも、さらに百千万億那由他阿僧祇劫ほども長い時間なのです。」 「そういう無限の過去からずっと、わたしは常にこの宇宙に存在して生き方や振る舞いを教え続けてきたのです。」 「そして、他の百千万億那由他阿僧祇劫の国においても、同じように導き功徳を与え続けてきたのです。」 *********************** この時間の流れは最初が無いほどのものでしょう。そしてこの世界観は宇宙を想定しなければ説明がつきません。 また、ここで言う百千万億那由他阿僧祇劫の国とは、無数の星やその場所のことだと仮定しなければ僕には理解できないのです。 最近の宇宙科学や物理学の成果は飛躍的なものがあります。宇宙の実像に歩み寄る努力が行われています。 この始まりは重力の研究からで、重力と電磁気力が基本的には同じくらいになる段階なのに、そこに必ず歪が生まれることに着目されました。 そして、どうしても「これまで人間の観測出来なかった他の(異時限)」の力が働いていると想定されています。 さらに、宇宙の形状についてはいろりろな説があるんですが、最新の理論によると、「膜宇宙」といって、変形しながら泳ぐ「ヒラメ」みたいなイメージのようです。縦横方向には大きな広がりはあるが、それに比べて厚さはあまりないといった構造のようです。 宇宙はビックバンと呼ばれる爆発によって誕生したといいますが、最新の宇宙観測の結果から、宇宙は膨張しているがビックバン以前から存在していたらしいということになってきています。 「エキピロティック説」と言うのですが、複数ある膜宇宙が、たまに衝突する事があって、この衝突した部分から爆発が起こる、これがビックバンだろうと言われてきています。 宇宙は銀河みたいなものの集まりであり、我々が観測出来ない「時限」の空間にも取り巻かれている。そんな感じなのかもしれませんね。私たちの宇宙は一塵であり、もっと大きく無限の宇宙が集合し、時空を超えて存在する。 私たちは、いま、そこまで辿りつこうとしています。 僕は思うんだ。 「観測出来ないもの」=「知らないもの」=「存在しないもの」=わずらわしい事 それではいけないよ。 「観測出来ないもの」=「知らなければ」=「存在を想定」=大きな夢であること そしてあのゲーテは言いました。 「世界のあらゆることを知るよりも自分を知る事の方が難しい」 人が宇宙の仕組みを知りたい事は、本当は自分自身を知りたい事 自分を知る事=人を知ること=繋がること=ひとつの世界に生きること。 銀河も宇宙も異時限も同じ「ことわり」で出来ているなら、その「ことわりが」私たちの中にも必ずあるんだ。 そしてそれは歓喜でり、つながりであり、無限であることだろう。人を知り、自分を知り、世界を知りたい私たちは宇宙の神秘にたどり着きたいから生きています。 犬の心を知るためには犬の気持ちにならなければ。 人の心を知るためには人の心にちかずかなければ。 自分の存在を知りたければもっと大きな世界を想像しなければ。 人の存在とは釈迦がいうように最初が無いほど、無限に偉大なものかもしれないと思う、そんなぐうたら詩人でした。 今日は時間をかけて書いてみました。ブログの容量がないのでここでやめました。今日も僕の朗読でお別れです。 初雪の恋←クリック 聞いてくださいね。では、バイバイ。多聞でした。 ●今日の俳句作品(これ傑作だよ)● 鳴く虫の音符を残す月夜かな ●今日の短歌作品● ゆかしきに 虫が泣けれる満月に 我は泣けねど人を想わん ●今日の詩作品● 今日は僕の「恋のカマイタチ」です。画像をクリックして音楽も楽しんでくださいね。↓ 【かまいたち 3】 【▼鎌▼鼬】 体を物にぶつけても触れてもいないのに、鎌で切ったような切り傷ができる現象。厳寒時小さな旋風の中心に生じた真空に人体が触れて起こるといわれる。かつては、イタチのような魔獣の仕業とされた。鎌風。[季]冬。《―萱負ふ人の倒れけり/水原秋桜子》 三省堂提供「大辞林 第二版」より ランキングに参加しました。クリックしてね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[エッセイ] カテゴリの最新記事
|
|