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カテゴリ:エッセイ
こんばんは!今日は「詩人の創り方」はお休みです。
今年は、なにか?ナナカマドの実が豊作なんです。そんな年は「大雪」になります(これははあくまで、私の論理)。北海道もこれからが大変な時期です。 たくさんのメディアにとりあがられた私のコラム「ナナカマド」でお楽しみください。 「ななかまど」人生の選択 【ナナカマド】は七回、竈(かまど・炊事で火を使う場所)にくべても燃えることのない硬い木であるとの意で付けられた名前だそうです。 薔薇(バラ)科の落葉高木(喬木とも)で北海道から九州のどこでも見かけることの出来る、とてもポピュラーでなじみのある木ですね。 秋には八対の小葉が鮮やかな紅に色づき、小枝の先に赤熟した実を鈴のようにたくさん垂らします。北海道では冬の美しい風物詩でもあります。材木は、その硬さを利用して細工物に用いられているようですね。 収穫の秋、鳥達は競うように木々がもたらした山の幸で一冬を乗り越えるための栄養を蓄えます。柿、梨、山葡萄・・・素晴らしい収穫なのでしょう。 しかし、ナナカマドの赤い実は食べられることはありません。きっと美味しくはないのです。木々の枯れ葉がすべて落ちて、ナナカマドの熟れた実だけが寂しそうに山々にたたずんでいるのです。 でも、ナナカマドは子孫繁栄のためにあきらめません。山に置き去りにされた赤い実を一生懸命に守り続けます。 じつは、その実を調べてみると、《ソルビン酸》という天然の保存料が蓄積されているのです。現在でも防腐剤やカビ防止、保存料として使用されています。ナナカマドは長い歴史から学んだ素敵な知恵で我が子を慈しんでいたのです。 北海道の長く厳しい冬も本番です。マイナス30度を超えると木々は凍裂(樹内の水分が凍結膨張することにより、大音響で裂ける)をおこし鳥達にもいよいよ食べるものがなくなってしまいました。 残されたものはナナカマドの実だけです。鳥達はナナカマドの小枝に止まり(まずそうな顔で?)実をついばみ、皮とタネを地面に返します。白い雪面が薔薇色に染まっていくのは2月の終わりごろ。北海道にも、もうすぐ春がおとずれます。ナナカマドの若芽が最初に産声をあげることでしょう。 「陰徳陽報」といって、人知れず努力を重ねた人はいつの日か、その苦労は結実して報われるといいます。とても辛い経験の上に北海道を開拓した私達の先達に思いをはせてしまうのです。そして、いまも誰にも認められず、それでも歯を食いしばってガンバッテいる若者がたくさんいることでしょう。 貴方達の苦労は、必ず姿を変えて貴方達を飾ってくれます。派手でなくとも、今は認められなくとも・・・自分を信じて勇気をもって、素晴らしい未来を受け取ってください。そんな生き方も私には輝いて見えます。ナナカマドのように。 草木有情(そうもくうじょう)という言葉があります。 草や木も生かされている。そして生きて私たちに大きな秘密を伝えるために、実を結びます。 そして、より美しく。より大胆に、より優秀に進化していることは間違い無いのです。この世界はなんて美しく完璧なことでしょうか。 僕らは、いつもそんな世界に目を向けて、考えていないといけないよ。 人間は考えるから素晴らしい価値が生まれます。 何事にも左右されない自分の世界を作ることは難しいけれど、ほんの少しでいい。その空間を垣間見たなら素晴らしいことだよ。 人である。 私は人である。想い出も、気持ちもいつか溢れだして、綴るには遥かな量で、人であることに愕然とする。 今日は「季節の果てに」でお別れします。バイバイ。 季節の果てに 冷たい雨が遠い空から ふいに肩をかすめ去る 首を縮めて僕は走った あとわずかの時だけが 覚醒の季節を提示した 真白い紙を広げていた 秋の色にも誰の色にも 決して染まらない空白 輝きに舞う創造の純粋 戸惑う僕が恥ずかしい この季節の雨の果てに この短い人生の果てに この空白の時の果てに ほんの短い今上の生で 僕は何を綴るのだろう 遠い想い出が交錯して 切ない夢がふくらんで つづるには遥かな量で ふっと人であると泣いた 人であったと愕然とした 僕の言葉が白抜きになり 人々の心に色彩になれと 願いつづけることにした ほんの短い季節の冷雨に 僕は背筋に震えを憶えた ランキングに参加しました。クリックしてね テクノラティプロフィール お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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