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テーマ:☆詩を書きましょう☆(8463)
カテゴリ:エッセイ
ぐうたら詩人の創り方。その4
■宇宙を支配する法則のこと■ 「E=mc2」 (Eはエネルギー、mは質量、そしてcは光の速度) アインシュタインの「相対性理論」によると、物体に速度が加わるとその質量は増大し、物体が光の速度に達するとその質量は無限大になってしまうことを示す方程式がこれだ。 物体の速度が光速度に達するならば、この数式の結果が無限大となる。 しかし、ここで大切なことは、物質の質量はゼロにもなること。そう、永遠かつ絶対と思われる時間でさえ、流動的なものなのだと目の前の数式は語っているんだ。 これは未だ、感覚的なものだけれど、哲学さえ包含していて、僕たちの人生に関る大きなことでもある。今日はそんなことをつらつらと、そして真剣に書いてみたいのです。 ■風に吹かれて歩むこと■ 僕は自転車を走らせることが好きなんだ。季節の風に吹かれて飛ぶように移ろう季節の風景を心に描写しながら進む。 しかし、ペダルを踏めば踏むほど風は吹く。高速になればなるほど、一生懸命なほど「抵抗」と言う風は行く手を阻みだすんだ。ここにもあの数式を感じながら僕は進む。 何故?僕は自転車を走らせているのだろうかと。 それにはきっと目的があったはずだ。 歩んでいても感じることの出来ない感慨を持ちたいから。あるいは目的地に早く着きたいから、またあるいは今よりも健康になりたいから。 人は同じ場所に留まることは出来ない。そう、風が吹かなければ生きていけないものなのかもしれない。 「命、生命」とは限りなく変化を遂げるもの。だからこそ、そこには風が吹いていなければならないと感じた。 あまりの向かい風にペダルを緩めることもあるだろう。そして自分が定めた方向に逸脱してハンドルを切る安寧に陥ることも。 それが人生であり、人間であるとも感じてしまうんだ。 ならば、地球の氷河時代が生物を劇的に進化させたように、「今」を生きる私たちにも「抵抗」が必要であり、それこそが命を輝かせる本源であることが理解できるようになった。ならば重いペダルを諦めずに踏み続けてみるのも生きていることだと。 ■ある日のこと詩人になった僕■ もう10年くらい前のこと。ある日、僕は詩を書いてみた。そしてそれをささやかではあるがネットで公開してみたんだ。 反響はすごかった! 「情けない。」 「これが詩なの?」 「学校はでたの?」 「読むに耐えない。」 こんなのばっかりで、ナイーブなところを未だ少々持ち合わせている僕には大変なショックだった。あの作品はたしか「あの時 僕は君と海が見たかった」だったかな。 ショックで、情け無く惨めだった。でも、、、待てよ!いいや違う!確かに未熟な作品かもしれない。うん、確かに未熟なんだろう。でも、描いた僕は描いた時に泣いていたんだ。 僕が生きてきて、感じて、泣きながら描いて何が悪いだろう。 ネットで公開したことは悪かったけれど、僕は感謝と愛しか書いていないよ。そんなに個人が書いたものを悪く言うことはないでしょう。 「悔しい!」 もう、いきなりすごい風が吹いたのです。風は我侭で無責任でした。そして一文一句をバカにする凄まじいものでした。 「よっしゃ!この風に乗ろう!詩人になろう!」 僕は体育会系の単細胞なので簡単に決めてしまいました。いま思えば「決めたこと」が素晴らしいことであり、心を蝕んだ風こそが僕を導いてくれた。 僕はペダルを意地でも踏み続けることを決めたのです。 ■詩人生活のはじまり■ 「わたくしは詩人である。」そう決めたのです。それ以前に僕は心に決めていた言葉がありました。 きっと初めて目にする方々は首をかしげるでしょうが、こんな言葉なのです。 「人生は演技である」 パスカルが言うように人間とは弱く、風になびき、とめどない生き物であるが、考えるからこと偉大である。「人間は考える葦である。」 そして、僕は考えて、考えていましたが、考えるとは伝えることであり、伝えることとは実行しかないのだと感じました。 そう、人間は行うことの有用性に人生があり、その結末は言葉がいらないもの。 人生とは演技であり、その演技を続けることは大きな苦痛であり「抵抗」であるが、その苦難に立ち向かう人々の心と行動はやがて習慣となり、やがては、その人の本質となる。 その本質とは風を多く集めながらも、人々さえも集め行くもの。僕は、詩人になることを決めたのです。 バカだ!最低だ!文学ではない!人間性がおかしい!たくさんの言葉が僕を励ましてくれました。そして詩人の生活を始めました。 詩人になるためには演技から始めなければならないから、私の思う「詩人の生活」実行しました。 上司に叱られたとき。「だっていいでしょ?詩人だもの。」 仕事に追われたとき。「もう、いいや、詩人だもの。」 笑 これは悪い例ですが、見るもの全てが美しくなり、あるもの全てに意味があり、私自身にも使命があるように感じることができるようになりました。 風はドンドンかさみ、僕の心を蝕みましたが、僕は自分の心の質量を軽くして微細化してあの公式と向き合うことを憶えたのです。 だって、詩人になると決めたから。エネルギーとは方程式で説明もできるのですが、心の質量も無限に増大していくのです。 (つづく) 今日は疲れたのでまた後日書きます。誰でもが心の偉人になれるのです。次回は歴史と偉人たちの本当を描き、そして分かりやすく哲学しましょうね。読んでくれてありがとうね。そして僕は詠い続けている。 どうして書いているのかな。 今日はその理由を描いた僕の作品でお別れします。いつもね、読んでくれてありがとう。心から感謝しています。ここを読んでくださる皆様に、かならず幸福がくるように。じゃね、次回に。バイバイ。 僕が歌う詩 僕の全ては夜を駆け巡っていた 焼きつけられた映画のフィルム 映像が一瞬で替わって行く想い 心の内側で塊たちが叫んでいる 力強く繊細な声で呼んでいる 「ここから早く出してください」 言葉をどうしても作れなかった 虹に憧れて 海を聞いて 空に涙して 炎に語って 人に触れて そっと感動すべき時の中で 大きな呼吸を吐き出した瞬間 心は彩られた発露を投げ出す 魂の詩を織り成していくんだ めくり忘れた暦のよう 僕の想い出は魂となって生きていた 流れていく時間の中で無垢な純白に 忘れない君のこと 愛することは生きている証 だから 想い出は美しく輝くべきもの 僕たちはまだ魂が繋がっているんだ そして救われる時を望んでいたんだね 悲しい時が昇華される僕たちの命 なんて素敵なことだろう 僕の全体は長い夜に駆け巡る 深い夜に魂を吐き出すために そして今日も詠いつづけている ランキングに参加しました。クリックしてね テクノラティプロフィール お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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