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カテゴリ:お仕事のお話
話し合う姿勢を持とうと言う人たちは異論であっても、姿勢を全面に押し出さないで、
「私はこう思ってるのだけど、どうかなぁ?」 とか 「その意見もわかるんだけど、でもね?」 ってたとえばこんなふうに、話しの端々に理解を求める姿勢がうかがえまする。 こないだも、大手さんのコンペで意見出し合って、仕事してるとき、「さるまるちゃんのダイナミックな部分が出てていい、インパクトあるいいね!でも、こっちの表記はもう少し小さくていいかな」 って言われると、なんかすごい素直に、 「は~~い♪も~お気にめすままいくらでも小さくさせていただきま~~っす。なんならルーペないと見えないくらい小さくしましょーかね♪」 ってくらい素直に聞けるのよね。 ※…自分お調子者っすから(高倉健風) 悲しみは悲しみを生むし、 怒りは怒りしか生まない、 恨みは恨みしか生まない。 ハンムラビ法典は当たってるのである。だったら私からは「陽」を持てばよろしいのね。 愛には愛をもって 理解は理解をもて 接する事ができるはず。 だから発信者には理解を示す姿勢が必要なのだ。 お互いが分かりあいたいと思う気持ちは「私の気持ちを知ってほしい」という思いとまた違う。 反発してもいいじゃないか、それで仕上がる仕事のできが高まるなら。そう思っていつも接していたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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