カテゴリ:感動
リンゴが教えてくれたこと(1) 木村 秋則 著 2009年5月8日 日本経済新聞出版社 発行
自分がリンコだったら、イネだったら、と考えました。 虫は作物の毒を食べている。雑草は余分な栄養を吸い取り、土を作る。
自然には何一つ無駄なものはない。私は自然が喜ぶようにお世話をしているだけです。絶対不可能と言われたリンゴの無農薬・無肥料栽培を成功させ、一躍時の人になった農業家が、「奇跡のリンゴ」が実るまでの苦難の歴史、独自の自然観、コメや野菜への展開を語るとともに、農薬と肥料に依存する農のあり方に警鐘を鳴らす。 私は全国の農家の人にこう言っています。みなさんの体にリンゴ一つ、お米一粒実らすことができますか。人間はどんなに頑張っても、自分ではリンゴの花一つ咲かせられません。米を実らせるのはイネです。リンゴを実らせるのはリンゴの木です。主人公は人間ではなくてリンゴの木やイネです。人間はそのお手伝いをしているだけです。そこを十分わかってください、と。
リンゴは古来、農薬で作ると言われるほど病虫害が多く、人々はその戦いに明け暮れてきたと申し上げても過言ではありません。しかし、私は肥料、農薬なしには栽培不可能というリンゴの栽培史に、ようやくピリオドを打つことができました。切り口が酸化せず、糖度が高く、生命力あふれるリンゴが実りました。
農薬や肥料などの不使用は、食の安全のみならず、地球の環境保全にも役立ちます。この自然栽培を全国の人や海外へ教えようと歩き始めて、もう十七年になります。ようやく、私の考えに賛同下さる生産者があちこちで活動するようになってきました。将来、自然栽培の輪が大きく広がり、各地に自然が戻り、失われつつある昆虫や淡水魚が身近で見られる農村風景が取り戻されることを夢見ています。
木村、やっと花が咲いたよ
9年目の開花 リンゴが自らの力を振り絞って咲いてくれました。ようやくリンゴの木が自分のことをわかってくれた。そう思うとうれしくて、自分の畑までたどり着くと「ああ、咲いた、咲いた」という感じで半日、その畑を躍るようにして回りました。
お祝いに日本酒を振る舞う お祝いに日本酒をリンゴの木の一本一本に振る舞おうと思ったのです。根っこのところに少しずつかけて、「ありがとう、よく花を咲かせてくれたね」と感謝の言葉を伝えて歩きました。
復活の兆し リンゴの復活の兆しは9月頃から新梢が少しずつ発生するなど、見て分かるようになりました。今まで8月頃には全部落ちていた葉っぱが十月の末まで三分の一の程度残りました。もう大丈夫、行けるかもしれない、そう確信めいた思いがありました。
周辺農家の反応も様変わり その頃になると隣の人たちも、畑の様子が変わって、よくなっているのを喜んでくれるようになりました。
私の生い立ち 私は次男坊で家を継ぐ必要がなかったから、農業は全く頭にありませんでした。学校の勉強はさっぱりでしたが、機械いじりと数字の扱いが割りに好きだったので、二年の時奮起して工業簿記一級を取得しました。
だから農業はいやなんだ ところが、わずか就職した一年半後に父が迎えに来ました。海上自衛隊でパイロットになっていた兄が体調を崩して家に戻り、私に家の農業を手伝えと言うのです。仕方なく退職願いを出しましたが、農業は全く頭にありませんでした。家へ帰ると台風でリンゴが落下し、田んぼは川の水があふれ、両親たちは排水に躍起でした。翌日からは水没寸前の田んぼの稲刈りでした。
巨大トラクターを購入 養子に入り本格的に農業に専念することになりました。 クルマのエンジン好きの私にはトラクターがたまらない乗り物に思え、実家の親父が持たせてくれた持参金で矢も盾もたまらなず購入しました。これで農業がおもしろくなる。単純でしたが、惚れこんだトラクターとともに少し夢が広がってきました。
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最終更新日
2009年07月05日 19時55分32秒
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