赤福(和菓子)についてのニュース映像で、箱詰めの様子が流されていたのを、たまたま見掛けた。
初めてこの赤福が箱に入っているのを見た時、どうやって入れているのかが不思議だった。機械でやるにしても、一体どのような理屈になっているのかと。
何の事は無い、人さし指と中指を添える感じで持ち上げ、ぽんっと箱に投げ込む様に入れていた。これは結構、慣れが必要なのだろうな。
総てを手作業でしているのかどうかは知らないが、あの形状で箱に入っている理屈が判り、すっきりした。
この手の騒ぎ、落ち着いて出直す事が出来た場合、以前より遥かに高い意識で商品管理がなされ、より以上に安心できる様になる(はず)と、いつもわたしは考える。
勿論その際、味が劣る様なものを出すはずも無い。
なので、この和菓子が再度発売された場合、わたしがこれを買う確率は高い。
其の時が楽しみである。信頼を取り戻す真摯な努力と明らかなる結果があるはずだと思うものである。
ただ、大抵のこの手の騒動では上記の通りなのだが、なぜか雪印だけはそう思う事ができない。
これは理屈では無く、感情から来ている様なのだが、その感情が更にどこから来ているのか、わたし自身わからない。
不思議だ。
騒動以前、わたしはそれほどまでに雪印を信頼していたのだろうか?
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