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カテゴリ:歴史
今日は、12月14日・・・以前にも書きましたが、今日は忠臣蔵討ち入りの日ですね・・・。
そして、その裏を返せば、赤穂浪士たちに討たれた吉良上野介義央(よしひさ)の命日にも当たるわけです。 毎年、この日になると、吉良さんの地元・愛知県幡豆郡吉良町の、吉良家の菩提寺のある華蔵寺(けぞうじ)では、吉良さんの毎歳忌が行われています・・・。 ドラマの『忠臣蔵』では、極悪人として描かれている彼も、地元の人からすれば、「おらが殿様」・・・まさしく地元に貢献してくださった英雄なのです。 そんな訳で、この時期の吉良町に行ってみることにしました。 ・・・と、その前に、腹ごしらえ!というわけで 吉良町のお隣にある一色町の一色さかな広場へ!ここの「むさし」というおすし屋さんは、市場の新鮮なお魚を使っているせいか、ネタはピチピチ、その上、めちゃくちゃ安くて美味しいんです。お勧めは「店長おまかせ握り」1,550円也! でも、土日はかなり混みます!お昼時は1時間は覚悟ですが、その価値は十分にあります。 まぐろにアジ、鯛の昆布巻き、サバ、ひらめのエンガワ、イカ、はまち、卵焼き・・・ そして、なんと言っても、特筆すべきは「うなぎ」でしょうか? ここ一色町は、なんと!浜名湖をしのぐ日本一のうなぎの産地なのです。「むさし」で使われているうなぎも、もちろん地元の物を使い、ふっくらと焼き上げていて、まるで穴子のような柔らかさ・・・ほっぺたが落ちてしまいそうな美味しさです。 そんなことを言っている間に、本題を忘れそうになってしまいました・・・吉良家の菩提寺・華蔵寺です。 吉良町では、吉良上野介のことを親しみをこめて、「吉良さん」と呼んでいます。 吉良家は、元々、足利家の出であり、そして、その足利家は清和源氏の嫡流です。 (だから、吉良さんの義央という名前の「義」は、足利義政・義満、源氏の源義経、木曾義仲などから引き継いでいるのかもしれません。) 北条政子の妹婿である足利治郎太輔義兼公は、政子から大変可愛がられ、源家の重宝・鬚切丸の短刀と白旗一流を賜って、彼を三河の守護(県知事みたいなものかな?)となりました。そして、その息子が西尾(現・西尾市)に居城を構えたことで、足利から吉良の姓を名乗るようになったというのです。 地元の人によると、吉良さんは、赤馬(農業用の雑馬)に乗りながら、農民達に 「作物の出来具合はどうだい?この辺の話をきかせてくれや!」と優しく声を掛けてくれるような、とっても温情あふれた、心温かい殿様だったのだそうです。 その他、新田開発や堤の建設など、地元にも大変貢献されておられます。 『忠臣蔵』に書かれているような極悪非道の殿様とは、全く同一人物とは思えないなあ・・・と思われる人もいるでしょう。 そりゃそうです・・・もともと『忠臣蔵』のお話は、『仮名手本忠臣蔵』という江戸時代に書かれたお芝居の脚本だったのですから・・・「あだ討ち」が世間の人々のうっぷん晴らしになっていた時代、吉良さんを一方的に極悪人に仕立て、面白おかしく書き上げていたとしても不思議ではありません・・・。 しかし、この『忠臣蔵』があまりにも大ヒットしてしまったことから、まるで事実であったかのように今の時代まで伝えられてしまいました・・・。 吉良町の人々の肩身はますます狭くなり、吉良さんも、これではうかばれないことでしょう・・・。 少しでも、吉良さんのお人柄を世間の人々に知っていただきたい・・・華蔵寺では、そんな意味もあって、毎歳忌を催しているのだそうです。 討ち入りに関する古文書も、ほとんど残っていない状態では、何が真実かを明らかにすることは難しいかもしれませんが、吉良上野介に、このような一面があったことは事実です・・・。 面白かった?もし、面白いと思ったら人気blogランキング にクリックしてくださいね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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