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2005年02月04日
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カテゴリ:歴史
皆さん、こんにちわ★ 
今日は立春ですが、寒波の影響でまだまだ寒い日が続きますね・・・。
思えば、今くらいの時期が、一年で一番寒い時期だと思うんですけど、
どうして立春なんて言うんでしょうね~?
やっぱり、旧暦の方が、季節感がしっくりと来るような・・・そんな気がします。

ところで、最近は、あのトロイ遺跡を発掘した事で有名になったシュリーマン(1822~1890)の書いた本を読んでいます。
彼は、確かに歴史的大発見に貢献したらしいですが、でも、遺跡にあった目ぼしい遺物を、シュリーマンがほとんど持ち帰っちゃったらしくて・・・その挙句に、遺物のほとんどが、第二次世界大戦の爆撃で壊されちゃったと言うではないですか~!(あ~、まったく・・・余計な事してくれちゃって~!もうちょっと後の時代に発掘されていれば、こんなことにはならなかったのにさ~!)

まあヤツは・・・もともと考古学者でも何でもなくて、ただの歴史オタクだったらしくて・・・なんと!40歳で商社の仕事を辞めて、悠悠自適にも・・・世界一周旅行を楽しんでいたらしいよ~。
それで、日本や中国にも観光旅行に来ていたみたいで、そのときの書いたというのが、今、私が読んでいる『シュリーマン旅行記 清国・日本』という本なんだね・・・。

ま~ね・・・確かに、西洋人から見た1800年代の中国や日本の生活の様子が、客観的に、事細かに書かれていて、当時の文化を知るには、とても貴重な本だと思うんだけど・・・どうして、当時の中国に外国の総督府があったのか・・・もちろんそれは、イギリスが勝手に戦争を仕掛けて(アヘン戦争のこと)、むりやり中国に貿易港を開かせたからなんだけど・・・その辺の事は、別に疑問に思ってなかったんだろうね・・・まぁ、奴ら、西洋の上流階級の人間にとっちゃ、西洋がアジアを支配することなんて、当たり前の感覚でしかなかったんだろうし・・・。

シュリーマンは、日本の事は、清潔で美しい街並みと、気さくで礼儀正しい国民性に敬意をはらっていて、非常に褒めちぎっているけれど、中国の事はというと・・・「街行く人は皆、ゴミを道に捨てていくので、あちこちにゴミが山のように積もり悪臭が漂う不潔で不衛生な街並みに、おまけに、まともなホテルすらなく、仕方ないので、お寺さんに泊まらせてもらったところ、土間みたいな地面が剥き出しになっている部屋に通されて・・・地面が湿っていて、耐えられないくらい汚かった」とか・・・?これじゃ、中国の後に寄ったという日本が、あまりにも美しく見えるはずだわね・・・。

中でも、彼が驚いたのは、女性の『纏足(てんそく)』らしいね・・・。
纏足については、いろんな小説でも書かれているから、ご存知の方も多いと思うんだけど、これは、ホント・・・恐いよね・・・。
2~3歳くらいの女の子の足の指(人差し指から小指まで)を、足の内側に折り曲げて、足の形を、まるでティアドロップ・・・先が尖って、踵が丸い・・・涙型の状態に作るんだって!
しかも、それだけじゃ終わりじゃなくて、その後、足の甲の骨をくるぶしの部分を中心に、バキッと折り曲げて、そのまま包帯で固定させるらしいんだよ・・・。

足の甲が直角に反り返って、縦のコの字変形するから、それはそれは・・・痛いなんてもんじゃなかったらしいよ~!
包帯で固定された足は、赤く腫れ上がって、化膿したりして・・・女の子達は、悲鳴をあげて、気絶することもあったとか?
纏足を作るのは母親の仕事だったけど、あまりにも痛がる娘が可哀想で・・・途中でやめちゃったりする人もいたみたいだね。

それで、10年くらいかけて12センチ以下のサイズを作るそうだけど、昔の中国では、『三寸金蓮』とか言って、三寸(9.9センチ)くらいの足の女性は、地面に触れることもない為に、まるで赤ちゃんの足のようにふわふわとしていたそうで・・・それはそれは、何物にも換え難いくらい美しい、美の象徴だったんだね・・・。当時の男性達は、小さな足で、よろよろとよろめくように歩く纏足の女性に、なんとも言えない色気を感じたそうだし・・・これさえしていれば、上流階級の御曹司に目を留められて、玉の輿にも乗れたというから、まさに、セレブに憧れる、今の日本女性と同じような感じもしなくはないよね~。
(娘が可哀想だからといって、纏足を止めたりすると、後で、娘に「何で、纏足してくれなかったのよ~!」と泣き付かれる羽目になるというから、どちらが娘思いになるのか・・・分かったもんじゃないよね~!)

纏足の歴史は、長い中国の歴史からすると、それほど古いというものではないらしいんだ・・・。
纏足が始まったのは、だいたい南宋時代・・・日本で言うと鎌倉時代くらいかな?
宋(960~1279)の張邦基の随筆集『墨荘漫録』に、「南唐の宮廷で、(踊りを踊る)舞姫が帝の求めに応じて足を布で縛って小さくし、新月の形に曲げて黄金の蓮の花型の舞台で舞って見せた」 という記述があって、そうすると、真っ白な靴下をはいた足は雲の中を舞っている様で、体を旋回させる様はさながら雲を凌いで天に昇るように、それはそれは美しかったそうな・・・。(だから、『金蓮三寸』って言うのね~!納得!!) 

それ以前の、唐の時代に、玄宗皇帝のお后だった楊貴妃が自らの命を絶ったとき、残されていた靴がたったの三寸しかなかった・・・っていうネタがあるけど、そんなこと『トリビアの泉』に送ったら、ガセビアの沼に放り込まれますから~!
(多分、楊貴妃は小さな足であってほしかったという願望が盛り込まれた、後の時代の作り話でしょう・・・)


それ以降、宮中の女官の間で、足を小さく見せる為に白い布で縛ることが流行したみたいで、それが上流階級の子女の証しと言う風になっていくんだろうね・・・。
そして、どんどん時代が過ぎるに従って、一般の階級にまで普及していって、纏足は、もはや中国の女性の間で、当たり前のようになった訳だけど、纏足の習慣があるのは、実は、中国の中でも、漢民族に限られた話なんだって!
清王朝(1644年~1912年)を仕切っていた満州族(女真族)は、一切やらなかったというから、あの悪名高き西太后も、もちろん、纏足はしていなかったということになるね・・・。

その纏足の習慣も、1912年、清朝が崩壊し、中華民国の建国と共に廃れていく訳だけど、1950年代頃まで雲南省の女性達に行われていたとのこと・・・。
(恐らく、纏足をしたお婆ちゃんの姿を、今でも見ることが出来るでしょう・・・)

海外の人からは、忌々しい悪習だの、女性の人権を無視した拷問と罵られていた纏足だけど、でも、当の中国女性からしてみたら、何も施さない、でっかい足をした女性の方が、ダサくてカッコ悪かったのかも・・・?まあ、今の女性達だって、爪先の尖ったピンヒールを履いている訳だし・・・ほっそりとした形の良い小さな足に魅力を感じる男性も多いはず!

外部から、とやかく言われることなんて、中国の人からすれば、余計なお世話だったのかもしれないね・・・。


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最終更新日  2005年02月05日 10時20分10秒
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