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カテゴリ:脳卒中
去年の3月8日。 私が倒れた日です。 その日を境に、私は身体障害者としてうまれ変わりました。 第二の誕生日! 祝ってもらいたくないけど、記念日です。 その日は、二娘が里帰り出産から自宅に帰ることになっていた日です。 朝からいつものように家事をこなし、風呂の掃除をしていた時です。 何かいつもと違う、もやもやっとした気持ちになり、その時はもう動けなくなっていました。 お父さん! と必死で呼んだのは覚えています。 お父さんが、必死の声で 「すぐ、救急車だ」 と叫んでいました。 救急隊の人たちが来て、 名前は?生年月日は?今日は何日?血液型は?などなどいろいろ聞かれました。 聞かれたことへの返事は、自分ではきちんと言ったつもりですが、今思うと、 はっきりとは聞き取れなかったと、思います。 そこからの意識は 「おばあちゃんより先に、いっちゃった」というのが、本音でした。 これで、死ぬのかなとも思いました。 でも、生きているし……これからどうなるんだろう! 病気に対しての認識が足りず、いずれ直るものだと思っていました。 だんだんわかってくるにつれ、絶望が押し寄せてきました。 トイレを、一人でできないことへの、屈辱 自分の体が、自分の意志では動かず、自分が自分でなく 一つのものになってしまったと思いました。 歩くこと、手を使うこと、話すこと 死んでいた方がどんなに楽かと思いました。 でも生きてしまったのです。 その日から、始まってしまったのです。 自分が糖尿病であることも、その時、初めてわかりました。 脳内出血って、なんだろう。糖尿病って、どうなるの? 今まで、あまりにも、自分の健康に関して無頓着だったかを思い知ったのです。 毎年、健康診断は受けていました。 受けていただけで、その内容を真摯に受け止めていなかったのです。 すべて、自分が招いたことだとつくづく思い知らされました。 あとのまつりとはこのことを言うのですね。 一年前、そんなこんなで怒涛の一日が過ぎました。
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