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2008年02月07日
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カテゴリ:学ぶ


わかる数学・水道方式について(2)

チルチル・ミチルの青い鳥ではないけれど
人は自分の手の中にある宝物にはなかなか気がつけないようですね

私自身もそうやって
人生の中で沢山の宝物と出会いながら、その本当の価値に気づかず
「わー、すごいなあ」
くらいのことで通り過ぎてきてしまった気がします

たとえば江戸時代の天才的国文学者塙保己一は
日本よりは海外で高い評価を受けました

やはり江戸時代の民間数学者「関孝和」も
鎖国日本の中で世界のトップレベルの数学をしのぐほどの業績を上げながら
長いことその真価は認められることがありませんでした


特に最近、私の中で二人の人を再評価し
あらためて学んでいます

一人は、ユダヤ人強制収容所にとらえられた過酷な状況を「夜と霧」
に著したヴィクトール・フランクル。

収容所での体験もさることながら、彼の実存分析・ロゴテラピーが
心理学をコペルニクス的大転換に導いたこと
さらに、現代人にとってますます必要とされ
価値を増しているということ・・に驚きと感動の思いを抱いています

もう一人は昨日のブログでもお話した
数学者そして優れた哲学者としての評価もつけ加えたいのですが
水道方式の生みの親「遠山啓」さんです

数学をわかりやすく教える革命的な方法を生み出した
水道方式は、民間教育運動から出てきたものとして
文部省に白眼視され
日本の学校から閉め出され
その間に
世界中の算数の教科書に取り入れられ
普及しています

もともと日本語は数詞が完結である事もあって
数学はとても得意な分野であるはずなのですが
数学をわかるように教えるという努力が
学校教育の中でないがしろにされ
もっともわかりやすい、もっとも楽しい教科であるはずの算数・数学が
もっとも嫌いな、もっともわからない科目になって
子どもたちを苦しめています

遠山先生は
「わからない、わからないことを覚え込むのは嫌だ」
と言えることもは、まだ人間的だ
分からないことに疑問を持たずに、取り込んで覚えてしまう
分からないのに出来てしまう子どもの方が
問題だ・・と指摘します

そうなんだけれど、でもそうすると
今の日本の子どもの圧倒的多数は
「分からないのに出来てしまうこども達」なのでしょうか
あるいは、
「わからない、解らないのにむりやりおぼえさせられる
勉強というのはなんといやなものか」
と、砂をかむような日々を過ごしているのでしょうか


そういえば、少し前に東大の医学部出身のドクターと話をしたのですが
自分の中高時代、及び大学受験時代を振り返り
「勉強とは正に受験の要領を身につけるものだった」
といっていたのを思い出します

日本のこども達全体が
膨大な知識を疑問を持たずに飲み込んでいる沢山のロボットの集団になってしまっているようで、寒々とした気がします。遠山先生はそんなこどもたちを
「お猿の電車を運転するお猿さん」
表現をされていましたが・・・


遠山先生が亡くなって数年後
私は本郷の遠山会館で開かれた水道方式の講座に
足を運んだことがありました

そのとき会館の一角にあった遠山先生の蔵書の棚を見たときの感動は
今でも忘れられません

それは、本のの幅の広さです
文学の幅広い古典が数学の本より沢山並んでいたのです

失礼な言い方だけれど
世の中には
「専門○○」といいたくなるような
自分の狭い専門の知識だけは驚くほどみにつけているけれど
自分の専門と社会をつなぐパイプを欠いている人を
少なからず見かけます

遠山先生の蔵書の棚の前に立つだけで
人間が学ぶとはどういう事なのか考えさせられました

遠山先生ご自身は
「学ぶことで一番大事なことは
人間がいかに生きるかということだ・・」
と多くの著書の中で繰り返し言っておられたのを思い出します

それは
ヴィクトール・フランクルの
「人生の意味を見つける・・・」
という視点と共通の者を感じます

そういえば
フランクル(1905-1997)
遠山啓(1909-1979)

遠山先生が亡くなって数年後
私は本郷の遠山会館で開かれた水道方式の講座に
足を運んだことがありました

そのとき会館の一角にあった遠山先生の蔵書の棚を見たときの感動は
今でも忘れられません

それは、本のの幅の広さです
文学の幅広い古典が数学の本より沢山並んでいたのです

失礼な言い方だけれど
世の中には
「専門○○」といいたくなるような
自分の狭い専門の知識だけは驚くほどみにつけているけれど
自分の専門と社会をつなぐパイプを欠いている人を
少なからず見かけます

遠山先生の蔵書の棚の前に立つだけで
人間が学ぶとはどういう事なのか考えさせられました

遠山先生ご自身は
「学ぶことで一番大事なことは
人間がいかに生きるかということだ・・」
と多くの著書の中で繰り返し言っておられたのを思い出します

それは
ヴィクトール・フランクルの
「人生の意味を見つける・・・」
という視点と共通の者を感じます

そういえば
フランクル(1905-1997)
遠山啓(1909-1979)

20年ほどの人生の長短はあるものの
同時代を生きた最大級の人類の代表であったと思います

そして
お二人の亡き後の時代が
最も求めていることは
この偉業の継承ではないのかとおもうのですが

私のような、未熟な、力のないものが・・・という思いに
「力の問題ではない、あなたが与えられた責任を
全力を尽くして無心になってやることが
最も大切なのだ」
という、フランクルの声が聞こえるような気がするのだけれど







 

 






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最終更新日  2008年02月08日 19時29分21秒
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