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カテゴリ:学ぶ
katakuriがイギリスにいた頃、小学校ではリーダソンが盛んだった。カードに自分が読みたい本を書いて、友達や周りの大人にこれを読むことチャリティーにするということでお金を集める。あとで、クラスで集計して、セーブ ザ チルドレン・・等々、様々な団体に寄付をする。読み終われないでお金がもらえなかったり、もらったお金でお菓子を買ってしまったり・・なんてハプニングもあるけれど、子どもが本に親しむ、一つのきっかけにはなっているらしい。本を読む習慣も身につくし、自分の手で集めたコインが、アフリカの子どもの饑餓を救ったり、野生生物の保護に役立ったり・・と世界に目を向けるきっかけにもなる。さらに、小さい頃から、人のためになにかすることの喜びを経験出来る事もすばらしい。 小さいときには、毎日教室に寝転がって先生の読むお話を楽しむ時間がある。一年に一回、一週間学校の図書館に本屋さんが来て、子どもの本屋さんが店開きする。それも、毎年の楽しみだった。ほとんど全員、毎日図書館から本を借りて本を読む。 アメリカにも、カナダにもこのリーダソンというシステムはあるらしい。最もイギリスと比べると、テャリティーの要素は、だいぶ薄いようだけれど、。 先日、NHKでフィンランドの元教育相が話しているのを聞いたけれど、彼は 子どもの、読み書き能力(母国語の力・さらに外国語も含めて)を培う、最もだいじな要素は、干渉されたり、強いられた読書ではなく、自由な読書にあるということが、かなり幅広い国で定着しているようだけれど、日本のこども達は、学校の中でも自由な読書を励まされ、その習慣を身につける試みが、あまり見られないのはとても残念に思う。 英語の単語などでも、一つ一つバラバラに取り出されて覚えても、定着率が悪いし、すぐにあらかた忘れてしまう。一方で、漢字などもバラバラに教えこみ、無理に覚え込ませようとするよりは、幅広い読書体験の楽しみの中で漢字に親しんでいれば、無理なく無駄なくしかもたのしく、書くことも含めて定着してゆくのだけれど。 ハリー・ポッターはもう英語版は完結したけれど、あの本がイギリスのこども達のこころを虜にして、本に引きつけたあの引力は大変なものだった。あの、厚い本を7冊読み通すだけでも、ずいぶん読むことの自信と楽しさを手に入れたに違いないkatakuriの場合もそうだけれど、子どもによっては、ぼろぼろになって暗唱してしまうほど、読んでいた。 自由な読書の習慣が身につくと、楽しみながら、しっかり学力の基礎を身につけることが出来るのだけれど。カリフォルニア大学の言語学者クラッシェン教授の「読書はパワー」にも、長年のデータが、そのことを立証している。ボキャビルや文法問題、解釈などを個別に取り出したりワークにしてもとても効率が悪い上に、こども達はちっとも楽しめないのだ。 知識の詰め込みに追い立てるのでなく、静かに楽しみの読書の世界に浸れる katakuriによると、本を読むことの楽しさは、大好きなチョコレートを食べる喜びと同じくらいの喜びだという。私自身も、小学校から帰って、寝っ転がって借りてきた本に読みふける・・あの時間は、最上の至福のときだった。 あの時間があったからこそ、嫌な授業があっても、嫌な試験に悩まされても、学ぶことは人生の最大の楽しみ・・喜び・・と思えるようになったのだと思う。 言語学者・クラッシェン カリフォルニア大学 大学院教授著
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最終更新日
2008年02月21日 22時03分23秒
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