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カテゴリ:学ぶ
自分で考える 日本人のオリジナリティーのなさは、昔から定評がある。そして、悔しいけれど諸外国を見渡すと、やはり認めざるを得ない気がする。 江戸末期には、様々な分野で、自由で自発的な学びの流れがあったのだけれど、明治にはいると共に、上から管理され、教えられる・・という、堅い、教え込みの教育が定着してしまった。 国の決めたカリキュラムを、教える。教わる方は、その中身をそのまま素直に(無批判に)ひたすら覚え込むことが、学校の教育の中心的なありようになってしまった。 戦中を知るある先生が イギリスの、ケンブリッジ大学の入学試験で最終的に最も重視されるのは、現時点での知識の量ではなく、その生徒の持つオリジナリティーなのだという。オックスフォード大学でもその点は同じだという。いくら細切れの知識を沢山持っていても、自分の力で考える、オリジナリティーを持っていなければ、大学に入っても力を伸ばすことは出来ない・・という考えによるらしい。 もう一つ、オリジナリティーの重要性についてのもう一つの例。 先人に学ぶことはすばらしいことだけれど、最終的には、自分の頭で考え、自分の言葉で語ることをしないと、何時までも、猿まねの域を脱しられないのでは・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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