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カテゴリ:ヒューマニティー
今、こども達を取り巻く問題で一番問題なのは、社会力の低下だという。社会学の門脇厚司・筑波大学教授は、1980年代から、こども達の世界の社会力の低下を訴え続けてきた。 私が、こども達の変化、特に幼い子どもの変化に気が付いたのがちょうどこの頃だったような気がする。私は、以前から、電車の中などで、まだ言葉も十分でないこども達と、表情で、コミュニケーションを交わし会うということを良くやったのだけれど、ある時期から、赤ちゃん達の表情がとても乏しくなったのだ。人に興味をむけない、関心のないこども達がとても多くなった気がする。 以前は、子どもにほほえみかけると、かなり小さい赤ちゃんでも、あるいは小学生くらいの子どもでも、にこやかな良い笑顔で答えてくれたものだったけれど、80年代以降くらいから。こども達の表情が急に乏しくなった気がする。 ちょうど同じ頃から、お母さん達の表情もとても貧しくなった気がする。身内の、親しい人とは、異常な接近の仕方で等々とおしゃべりを続けるのだけれど、 赤ちゃんをだいている様子を見ても、以前は心からかわいくてたまらないという様子で、ほほえみかけながら赤ちゃんをだいているお母さんがほとんどだった気がするけれど、最近は、お母さん自身がとてもいらいらして、うるさい厄介者を抱えるような感じで、子どもを抱いている人をよく見かける。 少し前には、祖父母がそばにいたり、おじさん、おばさんが至り、隣近所の自然なコミュニティーが機能していて、赤ちゃんはごく自然に、いつの間にか、温かな人間関係に支えられて、他人に対する興味や関心をはぐくんでいたのだろう。まず、大人達の社会に、コミュニティー感覚が希薄になって、家族が、それぞれの家の中で孤立して生活している。 子どもの社会力を育てる、人への興味、関心を育てる2は、三歳までの豊かな人間関係が必要なのだという。その意味では、人間はとても不自然な生活の仕方に陥っているのかも知れない。子どもも、その親の世代も、人間関係を出来れば避けて通りたい鬱陶しいもの、嫌なものという感情が蔓延しているのではないだろうか。 子どものことばかりは言えない。大人達も、人との付き合いが希薄になり、人とのやりとりが少なくなってしまっている。 その間隙を縫って入り込んだのが、ゲーム機とテレビだろう。コミュニケーション能力を育てる大切なチャンスは、一方通行の機械に遊んでもらう生活の蔓延でますますやせ細ってしまう。大人の生活でも、昔は、ちょっとした買い物でも、近くの商店街でのコミュニケーションがあったけれど、今は、一日中ほとんど口をきかなくても、過ごせてしまう。 さらに、受験の低年齢化に伴って、小学生から夜遅くまで(お弁当を2回分も持ってゆく子もいる)塾に通い、人間関係を学ぶ時間を、受験のための知識の詰め込みに奪われてしまう現実も見逃せない。 ヨーロッパのことわざに 特に、最近の子どもの人間関係で問題なのは、仲間から外れるといじめの対象になる・・ということの不安感からくっついていると言うだけの、信頼関係のな射、「ひとりぼっち」に対して、「みんなぼっち」と言われる状況が、蔓延していることです。孤立することの不安から、表面で必死につながりあっている・・。 かつては、日本のこども達も、素朴な人なつっこさを身につけていたけれど 大人も子どもも、生活や人生が、狭い自己完結した世界で営まれている人が多く、社会に窓が開けていない。自己完結した世界に閉じこもっていると、人間の最も大きな価値である、社会の中で生きてゆく喜び・・社会との相互的な働きかけの中で充足感を手にしてゆく・・という喜びがいつまで経っても手に入らなくて、自己充足を求めれば求めるほど、空しさの中に取り込まれてしまう。 フランクルの言う、現代社会の「生きる意味の喪失感による苦悩」というのは、まさに、社会力の希薄化と同じ根の問題なのかも知れない。 「ひと塾リベラ」松井幸子 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月29日 12時54分05秒
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