テーマ:世界の歴史(88)
カテゴリ:読書
キリスト 胡散臭い奇跡とか、とうてい納得出来ない教えとか、キリストが嫌いな事は度々書いてます。 そのキリストに対してもル・ボンはボロクソ書いてて痛快でした(≧▽≦) ガリラヤの無学な一大工の子が、二千年のあいだ全能の神となり得て、その名において最も重要な文明が築かれたなどとは、真実らしくないことであったし、また、沙漠から出た数隊のアラビア人が、旧ギリシア・ローマ領の大部分を征服して、アレクサンデルの帝国よりも広大な帝国を建設し得たのも、真実らしくないことであったし、非常に旧弊で、極めて階級制度のきびしかったヨーロッパにおいて、一介の砲兵中尉が、多くの国民や王侯の上に君臨しおおせたのも、さらに真実らしくないことであった。 ※訳中 ガリラヤは、小アジア、パレスチナの北部にあった地方。この地方の町ナザレは、イエスが青年時代をすごしたところである。なお、イエスの養父ヨゼフは、大工であった。 屈従 自由より屈従の方が脳が楽なんでしょうね… 群衆の精神を常に支配しているのは、自由への要求ではなくて、屈従への要求である。服従に対する渇望が、群衆を、その支配者と名のる者へ本能的に屈服させるのだ。 威厳 なるほどです。 さて今度は、人格的威厳について述べる段になった。人格的威厳は、人為的、後天的威厳とは全く性質を異にしていて、およそ肩書や権威などとは無関係な一種の力なのである。これを具えている少数の人は、その同輩を含む周囲の人々に、真に磁力のような魅力を及ぼし、そして、あたかも猛獣が、造作もなく食い殺すこともできそうな猛獣使いの意のままになるように、人々は、彼等の意のままに服従する。 仏陀、イエス、マホメット、ジャンヌ・ダルク、ナポレオンのような、人間の偉大な指導者たちは、この型の威厳を高度に具えていた。こういう人々が強引に自己の力を植えつけ得たのも、特にこの威厳によるのだ。神々も英雄も教義も、強引に自己の力を植えつけ得たのも、特にこの威厳によるのだ。神々も英雄も教義も、強引に押しつけられるものであって、論議されるべきものではない。それらは、論議の的となるやいなや、消滅してしまうのである。 革命 なるほどなるほど。 革命のはじまるときは、信念の滅びるときである。 モロックの伝説 子供をいけにえに捧げさせる神なんて、邪悪中の邪悪ですよね。 ヨーロッパの諸民族は、千五百年この方、仔細に検討すれば、モロックの伝説にも劣らぬほど野蛮な宗教伝説を、異論のない真理と見なしてきたではないか? 神が、1人の人間の不従順に対し、その子に恐るべき刑罰を加えて報復するという伝説の驚くべき不条理さも、幾世紀ものあいだ、世人には気づかれなかった。 ※訳註 モロックとは、昔フェニキア人が、人身、殊に小児をいけにえにして祀った火神、人体牛面の怪像であるという。 解説 穐山貞登 氏の解説では、ちょっとル・ボンの説に否定的な感じがしました。 確かにちょっと極端に断定している面があるかもしれません。 以下引用です。 この前世紀末の著書は、「パニックが群集心理によって起こった」、「株価が群衆心理によって変動した」、『歓声が群集心理によって見境いがなくなった」などと言うことを、いかにももっともらしく世界中に広めてしまった。今日、著者ル・ボンの名前も、この群集心理というラベルとともに知られている。 私も、実に面白い説だと思いつつも、群衆にはそういう事も有り得る、ぐらいの感じで読んだ方が良いかもしれないと思いました。 クリックフォローよろしくです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 18, 2022 04:18:21 PM
コメント(0) | コメントを書く
[読書] カテゴリの最新記事
|
|