テーマ:世界陸上05(10)
カテゴリ:注目☆
世界陸上☆開幕しました!
ぱんとこ、小さい頃から陸上やってたのもあって、とっても楽しみにしてました。 今年は、第1回大会が開催されたヘルシンキ。 気候なんかも独得そうですね~~。 何より驚いたのは、スタジアムの狭さ。 これ、狭いよ。 第8レーンのすぐ外がもう観客席。 ぱんとこなんかは、競技場で、観客が気になることとかあんまりなかったけど、 テレビで観てても、ちょっと騒がしいな~と思いました。 通常、どんな大会でも、スタートの前に、選手の紹介をするものなんですが、 それも一切ないので、観客も選手も、いつ何が始まるのかわかりにくそう。 そういうこともあって、たぶん、スタジアム全体で競技をおこなう感じになりにくいのかなあ。 せめて、スタートの時は静かにするよう、アナウンスか何か要るよ。 あれじゃ、なんか、スターターのマイクにスタジアムの音が入ってしまって、 集中しにくそう。 あと、狭いために、風が舞ってて、その影響もあって、 選手達は戸惑ってるという話でした。 100mの朝原さんも、1本目走って、「えっ、そんな遅いの?」とびっくりしてたけど、 普段の感覚で「これぐらいだろう」と思っているのと、だいぶ違うみたいでした。 ◆100m 朝原さん残念!! ぱんとこ、応援してた朝原さん、2次予選敗退。 2次予選は、ちょっとスタート直後につんのめった感じになって、 その反動で身体が起きてしまって、 中間疾走で空気抵抗をモロに受けてしまった感じだったかな~。 うーーーん、惜しい。 朝原さん本来の走りは、中間から後半にかけて伸びるような、 観ていてワクワクする走りなんですが、 今季は調整がうまくいってないみたいでした。 しかし、こんなに長い間、トップアスリートとして君臨しておられること自体、すごすぎる。 アメリカみたいに、メダル候補が国内大会で落ちてしまうような国とは、事情が違うというのもあるけれど、 1人の人間として、これだけ自分を保って、しかも向上させ続けているということは、本当に尊敬に値すると思います。 外国の人から見ても、長く出てる人って、たぶん認識されてると思うな。 昔、ぱんとこも、外国の選手で、特にメダル候補というわけじゃないけど、息が長くてなかなかよいプレイをする選手が出てるのを見て、 「あ、今回も出てる」って、妙にほっとしたり嬉しかったりしたものです。 今後、どうなさるのかな、朝原選手。気持ちとしては、もっと見ていたい。 【報道記事】 ヘルシンキで開幕した第10回世界陸上は、五輪スタジアムで第1日午後の競技を開始し、男子100m2次予選で朝原宣治(大阪ガス)は10秒58の1組6位に終わり、準決勝進出はならなかった。以下は朝原のコメント。 ■朝原「力不足という感じ」 前半は行けたと思ったけど、後半が伸びなかった。力不足という感じです。それくらいの力しかないのかなあ……。いろいろな原因があると思いますが、日本選手権を境に良くない。合宿でリカバリーしようとしたが、うまく結果につながらなかったです。(肌寒かったり、風が強かったりする天候は)気にはなりましたが、ほかの選手も一緒。トップギアに入らないで終わって、気持ち悪いことは悪いですね。(世界への挑戦は)来年のことも分からない。この後に何試合かあるので、その後で考えたい。去年のオリンピックでは持っている力を注ぎ込んだ。その後、冬の蓄えがなくて、ちょこちょこやっていたのでは難しいなと思いました。練習の走りもこれだというものもない感じ。世界陸上に向けて体調はだいぶ良かった。自信がない中で100パーセントの力は出し切れました。(2007年の)大阪(大会)のことは考えにくい。盛り上げ役に回った方がいいかも……。(今の気持ちは)これ以上は出ないなという、(力を)出し切った不完全燃焼という感じですね。2003年のパリ大会のときもそういう感じでした。 [ 8月7日 1時50分 更新 ] 朝原の闘志に火はついたのか 男子100m 2005年08月07日 (向吉三郎) 世界陸上第1日、朝原宣治は男子100m2次予選で1組6位に終わり、準決勝進出ならず。手前はアテネ五輪覇者のガトリン(アメリカ)【 Photo:築田純/アフロスポーツ 】 五輪王者と互角のスタートを見せるも 運命のいたずらか、単なる偶然なのか。100mの2次予選で敗退した朝原宣治(大阪ガス)は2レースとも五輪王者のジャスティン・ガトリン(アメリカ)の隣を走った。朝原はガトリンのスタートを横目で見て、「頭が低い」と重心の低さに驚いたという。 スタートではひけをとらなかった。100mで準決勝進出を決めたアテネ五輪200mの覇者・ショーン・クロフォード(アメリカ)が「スターターの間合いが長い」とぼやく中、33歳の朝原は、ベテランらしく、落ち着いてガトリンと互角のスタートを見せた。「スタートの感触は悪くなかった」と振り返る。 だが、2レースとも後半、みるみる差を広げられた。「前半は行けたと思ったけど、後半が伸びなかった。力不足という感じです」と朝原は言い、「それくらいの力しかないのかなあ……」とつぶやいた。 記録は1次予選が10秒40、2次予選は10秒58。自己ベストの10秒02には遠く及ばない結果となった。 険しかったファイナリストへの道 今回の敗戦を「冬の蓄えが足りなかった」と表現する。ファイナリストを目指して「持っている力を注いできた」というアテネ五輪の翌年。「練習の走りもこれだなというものが見つけられなかった」と話した。 「これ以上出ないなという、(力を)出し尽くした不完全燃焼」(朝原)。 高校で走り幅跳びの選手として陸上を始めた。1993年の世界陸上は幅跳びに出場した。スプリンターとしての才能も徐々に芽生え始め、「日本で一番速く走りたい」「世界最速を決める舞台に立ちたい」との欲求から2001年から幅跳びを封印。世界陸上、五輪で4大会連続100mの準決勝に進出したが、ファイナリストへの道は険しかった。 ガトリンを「貫録みたいなものがありました。決勝に向けて計画どおりなんだろうなと感じた」と評する。 07年には地元・大阪で世界陸上が開催される。「大阪のことは考えにくい」と言う朝原だが、ささやかれる引退については名言を避けた。メダル獲得を目指す400mリレーも残る。五輪王者は朝原の心に再び火をつけたのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 7, 2005 06:04:57 PM
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