テーマ:世界陸上05(10)
カテゴリ:注目☆
うーん、物凄い悪天候でしたね~。
たしかに、身体の軽い澤野選手には不利といえば不利なのかもしれない。 しかし、本来の陸上競技はこういうものだ、ということを、あらためて再認識させられました。 陸上競技は、記録を作る為だけの実験でもなく、 人間対人間だけの戦いでもなく、 自然との戦いでもあるんだって。 自分の外の自然と自分の中の自然の。 澤野さんはきっといい経験をした。 ここで簡単に勝てない方が、きっと大きな選手になるに違いないと思う。 【報道記事】 澤野大地がメダルの代わりに得たもの 男子棒高跳び決勝 2005年08月12日 (折山淑美) 男子棒高跳び決勝、5m35を2回目でクリアする澤野【 Photo:築田純/アフロスポーツ 】 決勝も予選に続いて波乱の幕開け 長かったというのか、短かったというのか……。男子棒高跳びの2日は、この競技の難しさを如実に見続けさせられた、とにかく疲れる時間だった。 一度は「ダメか!」とあきらめさせられた澤野大地(ニシスポーツ)の決勝進出。8月9日の予選は、強風と予想外の用具の故障で救われた。その運の強さをどう生かしてくれるかと期待した11日の決勝は、またまた用具の故障から始まった。 前日の女子棒高跳び決勝を、12日に順延させる原因になった悪天候は、11日になっても回復しなかった。昼前から雨が降り出し、強い風も吹き荒れるヘルシンキ。夕方になって雨は一時上がったが、競技開始の午後6時半になると再び、強い雨がグラウンドを濡らし始めた。それに加え、強い風は収まることを知らず、スタンドの最上段にズラリと立てられた参加国の国旗を激しくはためかせていた。 そんな中、午後6時35分から始まる予定だった棒高跳びは、出場選手の紹介が終わってもなかなか競技が開始されない。よく注意してみると、向かって右側の電動でバーを上げる装置の修理中だった。女子決勝が中止になった前日から、トラックの第2コーナー内側に準備されていた装置を、今さら修理しているとは……。何とも信じられない光景だ。 冷静な判断が裏目に 男子5000m予選も始まり場内も騒然とする中、突然競技は始められていた。二人の係員は手動でバーを上げ下げするテストを繰り返していたが、気がつくと澤野はピットの上でポールを持って立ち、試技開始の制限時間を示すタイマーの数字は残り20秒を切っている。 午後7時ちょうどで、バーの高さは5m35。 7秒前になってやっとスタートした澤野だったが、途中で助走をやめ、時間切れで失敗を示す赤旗が上げられた。 何とも不吉な予感にとらわれたが、後に聞くと澤野自身は落ち着いていた。 「あのときはいつ始まってもいいように、ずっと審判の様子を見てましたから、慌てることはありませんでしたね。でも、いかんせん向かい風が強過ぎて……。あれで無理に行ったらけがをすると思ったし、助走も届かないと思ったのでやめたんです」 だがこの1回目が、後に影響する。 決勝出場全12選手中、最初の高さである5m35に挑戦したのは2名だけだった。もう一人は、試技順12番目のケビン・ランズ(ベルギー)。澤野は、全員が同じ高さから跳び始めれば10番目に登場するはずだったのだが、この高さに挑戦したのが2名で、一番最初の試技者になったのが、第1の不運だった。早めに準備をして待っていたランズがクリアしたのに続き、澤野は2度目の挑戦でクリア。だが試技数が一つ多いため、その時点ではランズと順位差がつく2位にランキングされた。 澤野は5m35から試技を開始した理由をこう言った。 「試合直前の足合わせの僕の順番のとき、風が強過ぎて足合わせもままならなかったんです。それで低いところから跳んでいこうと思ったんです」 それ自体は冷静な判断だったが……。 勝負に出た5m65の1回目 試合は、通常より時間に余裕がなく、あたふたとしたテンポで進められた。次の5m50は、半数の選手が失敗する中、澤野は1回でクリア。まだ十分余裕のあるジャンプで、上位進出の可能性を感じさせた。 全選手が強風で苦しむ状況で、澤野は次の5m65がキーポイントになると考えた。それを1回目で跳べば優位に立てる。そう考えた彼は、5m50の試技では体が上がっていたものの、使ったポールは柔らかいと感じたため、強気にポールを硬いものに替えた。 「でも、向かい風でポールを握る手が力んでしまって、ただ踏み切っただけになってしまった。『アーッ』って感じで。硬いポールにするとちょっとした力みで崩れてしまうけど、攻められたことには後悔していません」 跳躍順1番のパトリック・クリスチャンソン(スウェーデン)が5m65の3回目を失敗した時点で、澤野の8位以内が確定した。だが澤野も3回目、「体も浮いたと思うし動きもしっかりできて。思い切った跳躍ができたから良かったと思います」というジャンプながらも失敗し、そのまま8位が確定してしまった。この高さをクリアしたのは4名のみ。もし5m35の1回目の失敗がなければ、澤野はほかの3名と試技数が同じになり、5位タイで競技を終えられたのだが……。 試合を終えて戻ってきた澤野は、ガックリ肩を落として「疲れました」と言う。 「予選より難しかったですね。寒いし、向かい風や横風が強いし、雨が降ってるし。まだ力が足りませんね。あの強い風の中で戦うには、今の僕の体じゃ無理です。5m50は一発で跳べたけど、あんな風の中でも自分の使いたいポールをしっかり使えるようになり、しっかり助走を走れる力をつけないといけないですね」 誰にでもチャンスがあったと涙 自分の競技を終わった後、タオルで顔を隠してグランドを歩いていた澤野の目に、涙が浮かんでいた。「泣いてたね」と話しかけると。「見られてましたか」と恥ずかしそうに答える。 「最低ラインの目標だった入賞をクリアできて、去年のアテネより一歩前進したと思っています。でも、5m50しか跳べなかったのがすごく悔しいですね。誰にでもチャンスがあるということが分かったから、余計に……」 結局、5m50を3回目でやっとクリアし、5m65の2回目には体でバーを大きくはね上げながらも、奇跡的に落下させずに成功したレンス・ブロム(オランダ)が、5m80を跳んでチャンピオンになった。そのブロムの自己記録が、澤野より2センチ低い5m81だったと知ると、彼は悔しそうに天を仰いだ。そして再び視線を戻して言う。 「この先やるべきことも考えてるし、やらなきゃいけないこともいっぱいある。次の大阪大会までの2年間を死ぬ気で頑張って練習して、絶対に、今僕より上にいる奴を見返してやりますよ」 決勝進出選手の中では、今季世界リスト2番目という状況で戦った澤野。彼はこの戦いで栄冠を獲得できなかったが、その代わりに、より強くなることへの大きな欲求を得た。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 13, 2005 02:34:07 AM
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