年の瀬に当たって真剣に考える
前回、満員電車の比喩を持ち出して、全員が被害者意識を感じている現状をパターン化してみました。そして、それが問題なのは被害者意識を抱いているその事自体にあるのではなく、無自覚のままいわば「放置されて」、対象療法が何も成されていないことにあると、指摘しました。悪者が一人もいないのに、被害者意識だけが日増しに肥大化する、これはとても看過出来ないことです。しかし、世に言うところの「識者」はこの事実をまるで知らないかのように、「無視」し続けております。心の汚染問題など、環境破壊その他の重大事に比べれば取るに足らない。そう考えているかのごとくですが真相は一体どうなのでしょう?ここで草加の爺が極端な「暴言」を吐いて見ましょうか。悪者はハッキリしている。社会が悪い、そして個人も悪いのだ、と。結局、自らまいた種が今日の荒廃と混迷の極みを将来したので、まさに自業自得の見本のような例。またぞろ、俺は、私は、関係ないね。そんな嘯きの声があちこちから聞こえてくるようですが本当に、あなたは何の関係もないと心底から思えるのでしょうかね。もう一度ご自分の胸によーく手を当てて、お正月の三が日だけでもお考えになってください。美味しいお酒やおせち料理を味わいながらでも結構です。そして、初詣のお願いに自分の心の中を清掃するにはどうしたらよいか、神仏にお聞きして下さい。お願い致します。どうか良いお年をお迎え下さい。そして皆で日本という国を良い国にしてゆこうではありませんか。草加の爺 謹言