究極のハッピネス、涅槃、悟り……。
私・草加の爺は今、人生の最も幸せな日々をそれと自覚しながら生きております、本当のほんとの事でありますよ。昨夜はお世話になっている学習塾の仕事納めで、授業の後で大掃除をし、その後で教室長以下講師の十数名で忘年会を紫菜館という中華料理のお店で本当に豪華に、そして最高に盛り上がって、更には十二分に楽しく飲み且つ食べ、気楽なトークに花が咲き……、と言った具合に、何の変哲も無い六十八歳の本当に風変わりな老講師の或る年末の一日でありましたが、これが私にとって「悟りや涅槃」の自分にとっての自覚を確固たる物にしてくれた最高のハッピネス(HAPPINESS)の二十四時間。この他にもプライベートでももっと、もっと素晴らしい「体験」があったのですが、それは煩わしくなるので割愛いたします。ここでがらりと話しが変わりますがあの有名な良寛さん、子供達と日がな一日かくれんぼなどして遊び暮らした伝説の老僧の晩年の逸話。ふと私の脳裏をよぎったのですね。あの良寛さんほどの「澄み切った悟り」の境地ではありませんが、私なりの相似比で言えば一億万倍対一ぐらいの比率でしょうが、何か和尚の心境の一端を覗い得た様な思いに捉われたのであります。それがタイトルに掲げたいささかオーバーな表現となった次第。また、畏れ多い言い方を許して頂くとしたら、お釈迦様の「涅槃の心境」も自分なりに勝手に、これこそ生きながらの「私にとっての涅槃」なのだと納得したのでありますが翻って考えて見ますと、名も無く、貧しい庶民が浅学菲才の身で錯覚にもせよ、このような幸福感に包まれる事が可能であるのは、何と有難い事ではありませんでしょうか?如何でしょう……。老婆心、いや老爺・心で申し上げると、皆さん方もお心がけ次第では現状の儘で直ぐにでも「この様な幸福感」を自分の物とすることが出来るのですね。ご自分の「不幸」や「不仕合わせ」を呼び込んでいるのが、他ならないあなた自身なのだと言う「反省」をして、来年は素晴らしい、そしてこの世に生まれてきて本当によかったと自覚できる、良い年でありますように心から念願いたして、本年の最後のご挨拶と致します。ご愛読に感謝、感謝。