如何に生きるか?それが問題……。
前回、何もしないのが一番個性的でユニークな生き方だと書きましたところ、或る女性の方から丁寧な「反論」を頂戴しました。自分は「何もしないことに掛けては人後に落ちない怠け者だけれど、そんな事で本当に個性的でユニークな生き方をしていると言えるのだろうか?納得できない。と言った趣旨の物でした。真正面から、真剣にお答えいたします。取り敢えず二つの側面からこの問題を掘り下げて見ましょうか。先ず、「何もしない怠け者」の内容ですが、平たく言えば世の中の動きに無関心で、自分の周囲の狭い範囲にしか興味が持てずに従って、激動するグロウバルな趨勢と無関係な日常生活を送っている。と言ったような意味合いでしょうか。もしそうだとすれば、個性的とかユニークとかを問題にする以前に、折角非常な幸運に恵まれてこの世に生を享けたにも拘らず、天の配剤という極めつけの幸運を台無しにして、天に唾するような「罰当たりな」生活をしている事になりその事自体に重大な問題がありますね。ご自分の人生ですからそれこそ「好き勝手に生きたとして、誰からも文句は出ない」でしょう。しかし、私・草加の爺に言わせれば「親の心を知らない大馬鹿者」と決め付けなければならない。縁無き衆生は度し難きかな、と仏教のほうでも匙を投げていますね。第一、何もしないで我々小人はこの世に一日たりとも呼吸できない。大体が、小人は閑居して不善を為す、と言うのが世の常というもの。不善ならまだしも悪に走り、挙句には周囲に大迷惑を及ぼす迷惑至極な害毒を撒き散らす。あなたの周囲を一寸だけ見回してみてください。そういう輩がうじゃうじゃいますね、実際。客観的に観れば「何もしない」は皆、この類の不善・害毒の撒き散らし行為。もう一つの側面は、この世に生を享けたからには一人の人間として「当然」行なわなければならない「正義」があるはず。自分自身の才能と、境遇と、その他諸々の制約の中で精一杯の努力をする。そして自分を幸せにする事を通じて、世のため他人の為に尽くす。その「理想」に向けて、日々ベストを尽くす……。個性的とか、ユニークと表現したのは私の意図的な「誤用」ですが、読者にお詫びする心算は毛頭ありませんよ。言葉とは、生きて働く、複雑微妙な内容を持った精妙なる生き物なのですからね。序でながら、言葉について申せば、取り分け私たちにとって、世界で一番大切な日本語を大切に思う心を育てなくてはなりません。申し上げたいことは沢山あって、この様なブログだけでは詳細を尽くすわけにはいきませんのでどうぞ、F Y C の方にご連絡頂きます様お願い申し上げます。無料にて、懇切丁寧にお答えいたします、ご納得がいくまで。