「バカを磨け」― 幸せという義務・その四十一回目
2 二十三歳・ユミの場合 ユミは4年制の大学を卒業後、東京近郊の食品関連会社の一般事務職の正社員として採用され、2年ほど勤務している23歳の独身女性です。自営業を営む両親と同居しています。学生時代から交際している彼もいます。端から見れば、一見して何不自由ない、羨ましい程の恵まれた生活と見えるのですが、本人はかなり深刻な悩みを抱えているのでした。 ユミが自分の悩みを意識しだしたのは、高校に入った直後の時期でした。最初は、希望する一応は名の通った高校に入学できた後の、脱力感の様なもの―、そんな風に解釈して、自分自身を納得させようとしましたが、どうもそうではないように感じ、そうすると急に、以前からずっと「こんなだった」自分を強く意識するのです。、つまり、張りのない毎日、惰性のような日常―これは私の本当の人生じゃない。こんな具合に生きる筈ではなかった……、そこまで言うと真実とは違ってしまうかもしれない。でも、強いて言葉にすればそれに近い気持ちや感情が何処からとも無く、立ち現れるのが感じられる。 ユミはその心の中の葛藤を忘れようとして、勉強に打ち込みます。そして大学に進み、就職して今日に至っている。ざっと、こんな風な悩みの相談でした。 「お付き合いなさっている彼は、あなたの悩みを知っているのでしょうか?」 「いいえ、全然話していませんので、その事については……」 「何故、お話されないのでしょうか」 「どう説明したらよいのか、正直、わからないのです、わたし」 「すると、ご両親も御存知ない」 「はい、夢にも思っていないでしょうね、父も母も。私に深刻な悩みがあるなんて」 私がユミさんに、幼い頃の思い出の中で、何か楽しい記憶がないか、と尋ねたのに対して、学校の遠足とか家族旅行で山や海に行った時が、楽しかった、愉快な思い出として残っている。そういう返事でした。それから、「最近は旅行らしい旅行ひとつ、していないわ」と呟いたのです。 最初はハイキング程度の気晴らしで、週末に山とか海辺へ出かけることを私が提案したのに対して、なんと驚いたことに、会社の有給休暇を目いっぱい使った、一週間のハワイ旅行に出かけて来たとの報告が、一ヵ月後のセッションの際に、彼女からありました。その時の彼女の目は本当に別人の様にキラキラと美しく輝いていましたよ。 もともとユミは美人の部類に属する、スタイルも良い素敵な女性だったのですが、第一印象はどこか精彩を欠いた、暗い感じばかりが目立っていたのです。 ユミは語りました。 「なにもハワイでなくても、どこか大自然を身近に感じ取れる場所だったら…。喘息の気が少し有りまして、私。以前友人の誰かからハワイの空気が喘息の人にはとても良い、と聞いていたものですから。とにかく、夜空の星がとても魅力的でした。まさに心が癒される、命が洗われている―、上手く言葉で表現できないのですが、わたし、思わず涙を流していました。悲しみの涙ではなくて、魂の奥から自然に湧いてくるような、自分で言うのも気が引けるのですが、清らかでまるで真珠のような、大粒の涙が、あとから、あとから止めどなく流れて。それはもう、不思議な体験でした」 ユミは完全に、初めの来談目的を、自分自身の手で解決してしまったのです。出会いは、ユミ自身の言葉を借りれば、「この私・草加の爺でなくとも、別によかったわけ」ですね。しかし、ライフメンターとして、少しはお役に立てた有難いご縁に感謝しつつ、正直、喜びも一入(ひとしお)です。 なお蛇足ながら、ユミは元の会社に勤務し、以前の彼と交際し、ご両親とも変わらず平穏な生活を続けています。つまり、外見からは彼女は少しも変わって見えないのですが、彼女の内面は、大変革を遂げていたと言うわけですね。