野辺地、礼讃、そしておのろけも…。
私が野辺地を知ったのは、現在の家内、旧姓で柴田悦子と結婚してからでありますから、もう既に四十数年前のことでありますね。現在、家内は浅草の老舗料亭「浅草今半」の謂わば 看板お姐さん としてテレビの番組やその他クチコミなどで全国的な人気を博している 凄腕の仕事人。 私と出会った時は、新宿駅西口近くのごく小さな居酒屋の女将?(ちいさな店をたったひとりで切り盛りしていた)でしたから、二十前後の若い娘が都内でも有数の大歓楽街のど真ん中の飲食店経営ですから、色々とあらぬ噂が流布してもいた。曰く、後ろに怖いヤクザの親分がついていて、少しでも客たちが手出しなどした場合には…、などといった根拠のない作り話でありました。 とにかく、あれよあれよという間に、わたしと悦子は結ばれてしまった。これに関しても、色々と陰で憶測による、全く根拠のない噂が流れておりましたが真相は当事者である二人にとっても、つい最近まで 謎 のまま残されていた、本当です。当時、わたしはテレビドラマの若手プロデューサーとして華々しい活躍をしておりましたので当然、私がいつものように「美人」で年若い娘を口説いたのだ。その様に、周囲の十人中十人が皆、信じて疑わなかった。これに関して、釈明いたしておきますが、私は残念ながら女性を口説くことが出来ない情けない男でして、家内に関しても同様でありまして、一目ぼれした彼女が一方的に私にモーションをかけてきて、全く彼女の恋ごころに気付かないでいた迂闊者の私は、最後に「アナタのことを好きなのです」と言う言葉を耳にするまで、それこそ夢にもそんなことだとは知らなかった。余談ですが私が60歳の定年で会社を辞めるときに、フジテレビの大プロデューサー・能村庸一氏が幹事役を買って出て、「歌う送別会」を新宿のホテルで開催して下さった際に、その時のメイン・ゲストはあのスター俳優の松平 健さんでありましたが、彼女・悦子自身が挨拶の言葉の中で、「私が古屋を口説きました。但し、必ず幸せにしてみせます、とも言い添えました」と証言して参加者一同が一様に口をあんぐりとさせたのでした。 ノロケついでに申し上げますが、彼女は全く献身的に私に尽くしてくれました。そして故郷である野辺地に私を連れて行ってくれたのでした。当時から野辺地はホタテ貝の養殖で有名でありました。東京生まれで、東京育ちの私には海有り、山有り、人情有りと三拍子揃った田舎は本当に有難い場所でありましたよ。義理の兄・登さんがご馳走してくれたホヤの塩辛。そして青なまこ。新鮮この上なく、感動ものでしたね、実に。 家内が生まれ育った実家の裏庭の直ぐ外が陸奥湾で、幼い彼女は水着もつけずに生まれたままの姿でよく泳いだとか。それから、取れたてのウニを船の中でカラを割ってスプーンですくって食した時のあの旨さ!感動、感動の連続でありました。