神慮に依る 「野辺地ものがたり」
第 五十六 回 目 そっと、閉じていた眼を開きかけると、誰かが枕辺に在って、義清の顔を熱心に窺っている様子である。義清は又、瞼を閉じて、相手の気配を、聴いた。それが先程の少女であることは、直ぐに知れた。少女は身じろぎもせずに、若者の稍蒼褪めてはいるが、凛々しい面を、打ち見ているのだった。そのようにして、どれほどの時間が経過したであろうか、義清にはそれが一年にも、二年にも、あるいはもっと、遥かに長い、永遠に近い時の流れの様にも、感じられた。出来ればいつまでも、こうして眼を閉じて、美しい少女に見守られていたい。そう、胸底では熱望するものが確かに有ったのだが、もう一方で、その儘の状態に耐え切れない、息苦しさが次第に募ってもいた。とうとう義清は瞼を大きく見開いて、少女を見た。 「そなたは人を殺めたのか」 桜貝のような艶々した、形の良い少女の口元から、穏やかに発せられたこの言葉は、強弓から放たれた箭の如く、義清の胸を貫いた。 「解らぬ、ただ、儂(わし)は危うく命を失う所であった」 草の上に昏倒した儘手から離さなかった太刀には、ドス黒い血糊の痕が、はっきりと残っていた。確かに自分は賊を切ったに違いなかった。が、果たして相手が死んだものか、或いは思いの外に浅傷であったのか、皆目見当がつかない。肺の臓も心臓も、膽も腸も、五臓六腑が捩くり返る、凄絶な死の恐怖からの、形振り構わぬ、唯闇雲な遁走の記憶が殘るのみであった。全身泥まみれ、血潮に塗れた義清はこの少女に発見され、親身な介抱を施され、今こうして清浄この上ない寝床の中にぬくぬくと、臥せっている。義清は、何か感謝の言葉を述べなければならない事に、初めて気がついた。 「礼はいらぬ、そなたを此処へ招いたのは、妾(わらわ)なのだから…」 身を起こして、激しい苦痛に顔を歪めながらも尚、感謝の言葉を探そうと努める若者の、殆ど必死の行為を宥め抑えるように、少女は謎の様な言葉を発していた。少女は確かに 此処へ招いた と言った。しかし、「招いた」とは一体どういう意味であろうか?自分は、野盗の一団に襲われ、命からがら逃げ延びて、偶然、この邸近くに紛れ込んだ 負け犬 にしか過ぎない。哀れに尻尾を巻いて逃げてきた、薄汚い負け犬―、そこまで考えた時、義清は急に己の若輩と、それ故の非力と不様さとを、心に深く恥じた。その惨めな気持ちを美しい少女に見透かされるのが嫌さに、義清は固く眼を閉じると、顔を深々と褥の中に埋めた。 三日目の昼下がり、義清は年老いた忠実そうな老爺が手綱を引く、栗毛の馬に乗せられて、少女の邸を出た。別れしなに義清は己の名を乙女に告げた、佐藤義清と。少女は、黙って僅かに頷いたが、当然のごとくに、自分の身分姓名は明かさなかった。碧い瞳の乙女。義清は口の中で、そっと呟いて、心に別れを惜しんだ。礼は要らぬ、と言い放った乙女の声が、耳底に蘇って来る。 無骨一辺倒で、普段は感情を決して露わにはしたことのない父が、息子・義清の無事を知ると、顔中をくしゃくしゃにさせて、大きな喜びの色を満面に浮かべた。若い舎人数人に支えられながら馬から降りる義清の胸の中に、ひ弱で、二つ下の九歳の年齢にしては幼い弟の仲清が、大粒の涙を見せながら、飛び込んできた。病弱な母が、二日間、奥庭の一角に建てられた小さな持仏堂に籠りっきりで、自分の無事を祈願していると聞くや、義清はまだ躯のあちこちが劇しい痛みに苛まれているのを、無理に隠して、その儘直ちに、元気そうな笑顔を、母親の前に現した。青白く細い母の優しい手が、静かに、いたわるように、義清の肩を抱いた。その時初めて、不覚の涙が、若者の瞳に湧き出た。大きな安らぎと、限りない安堵感に浸って、若者は両肩を震わせて、泣いた。 その事があってから、義清の武術に励む意気込みが、一段と厳しさを増した。何か言い知れぬ 殺気 の様なものが、日常生活の隅々にまでも溢れ、一種異常な迫力と威厳さえもが、若者の身辺に放射されていた。 兼ねてから義清に目を留めていた中納言・徳大寺実能が、この変化に着目し、父・康清に乞うて、特に将来の随身として教育を施すべく、今から徳大寺家に通う方策を講じてくれたのであった。無論、義清本人に異存は無かった。家が経済的に富んでいるとは言え、新興階級の、それも賎しい下級武士の家柄に生まれた義清にとって、通い書生の身分ではあっても、名門貴族の徳大寺家への出入りを許された事は、大きな名誉であると同時に、己の天分を心ゆくまで伸ばすことの出来る、願ってもない好機であった。 代々、武を以て鳴り、それを唯一の誇りと、生甲斐としている当主・康清は、長男の栄達の道が武芸以外の所にもあろうとは、夢にも考え及ばぬことであった。しかし、若輩ではあっても、才知と野心に満ち溢れた義清は祖父や父親が生涯かけても望み得ない、左衛門の尉以上の地位を、既にして虎視眈眈と目指し始めていたのである。実能の一子・公能と同年輩の、謂わば学友として、義清は学問と和歌の道に精進した。無論、本業である武の道も、諸々の兵法を学び、中でも得意の弓術には抜群の成績を示し、腕を上げていった。 十三歳で元服し、十六歳の春に、この時大納言に昇進した実能の随身として、正式に召抱えられたのを機に、主人の媒酌で、妻を娶った。相手は聡明で、美しい娘であった。