神慮に依る「野辺地ものがたり」
第 六十一 回 目 よく飽きもせずに、同じようなドラマを作って放送する方も、放送する方だが毎週、頼まれもしないのに、決まって同じ時間に、同じ所にチャンネルを回す女共にも呆れてしまう―― そんな事をぼんやりと考えながら、新婚以来使っている古ぼけたダブルベッドに潜り込んで、枕元のスタンドのスイッチを切ったが、時間が早いせいか直ぐには眠れそうになかった。 暫くすると、春美が寝室に上がってきた。灯りを点けて、彼がまだ寝込んでいないことを確認すると、再び階下に降りると、冷やしたワインとグラスをお盆に乗せて戻ってきた。時によって、ウイスキーだったり、日本酒だったり、種類は変化するがこうして妻が寝室にアルコールを持ち込む時には、彼は素直に、彼女の欲求に応じなければならない。知らず知らずのうちに出来上がってしまった、習慣の様になっていた…、彼は若い頃、自分の性欲が人一倍強いのではないかと、悩んだ時期がある。が、春美と結婚してみて、むしろ弱い方の部類に属するらしいことを、知らされて、愕然としたものだった。特に、四十を過ぎてからは、月に数回の夫婦の営みが、億劫にさえ感じられてならなかった。たまに彼が積極的になった時でも、三十七歳にもなって未だに少女趣味の残っている春美に、やれムードの愛情のと、変にベタベタと甘えられたりしているうちに大抵、げんなりと元気が失せてしまうのだった。 水曜日の朝は、職員会議がある日なので、普段より数台早いバスに乗る。今朝も私鉄の駅前でバスに乗り込むと、どうした理由か、いつもより却って混雑している。 奥の方に滑り込み、つり革に手を掛けようとして、ひょいと見ると、前の席に佐々木法子の顔があった。少女は教頭の姿を認めると、席を譲ろうと腰を上げかけた。彼は慌てて、その儘座っているようにと手で制し、素早くカバンから朝刊を取り出して熱心に読むふりを装った。胸元が、息苦しくなるほど鼓動が速まり、動悸が高鳴っている。―― 活字が少しも眼に入らなかった。そっと、相手に知られない様に新聞の隅から窺うと、少女は膝の上に両手をきちんと重ねて、両目を閉じていた。彼はややホッとして、少し大胆に少女の顔を見詰めたが、少女がふいに眼を開いた時の用心に、新聞紙を目の前から離さないでおいた。今朝見る少女の顔は、別人の如くに美しかった。全体に瑞々しく、皮膚に張りが感じられた――、紅を薄くさしたように、微かに赧らんだ頬。唇にも、鮮やかなピンクの明かりが遠慮がちに点っている…、自分は痴漢かも知れない、そんな考えが彼の脳裏に閃いた。正確には、視姦と呼ぶのかもしれないが、何も知らない清純無垢な少女の顔を、不潔な中年男の舐めるような視線が、事実上穢しているわけで、胸元や臀部などに自分の手などを接触させる痴漢の行為と、質的な違いは、そうないのであるから…、ただ、相手がこちらの行為に気づいていないだけの、違いしかないのだ。そう思うと、全身に鳥肌が立つような何かしらおぞましい自己嫌悪が、彼の心を暗くした……。 いつものように、これといった議題のない職員会議は、形式的な顔合わせで、短時間に終わった。会議の後で、一年B組のクラス担任である尾崎先生が、眞木のデスクにやって来た。そして、放課後に少し、折り入って御相談したいことがあると、何か神妙な表情で、教頭の耳元に囁いた。快活で、普段は冗談ばかり飛ばしては、同僚の女教師たちを面白がらせている、この若くハンサムな英語教師が、彼は特別に嫌いであった。生徒たちの間で異常な人気を博しているイケメンでスマートな尾崎が、軽佻浮薄な若い世代の典型のように、感じられてならなかったから。 尾崎の持ち込んだ相談というのは、予想外にも、重大で、面倒な問題を孕んでいるのを知った眞木は、緊張した場合の癖である、瞬きを何度も繰り返しながら、天井を見上げた。事は、あの佐々木法子に関するものであったのだ。尾崎の説明によると、佐々木法子の家庭環境が特別に複雑であることは、小学校からの申し送り書類の注意事項にも記載があった程で、かねてから注意をしていたのであるが、今度の夏休み中に、法子がちょっとした問題を起こした。とは言っても先週に最寄りの警察署に出向いて、分かった範囲では、現在のところ、法子自身が直接に犯罪を行うまでには至っていない。しかしながら、これまでの状況から判断すると、法子の置かれている立場は極めて微妙なものと言え、非行に走るのは時間の問題といった、際どい瀬戸際まで来ていることは、殆んど間違いないらしいのである。そして、その犯罪というのが、新聞や週刊誌などがことさらセンセーショナルに取り上げて、今好奇の的になっている売春行為なのだという。 法子の母親というのが、非常に男出入りの激しい女性で、現在小さな質屋の後妻に納まっているがとかくの噂が絶えない。つい最近も、万引きと主婦売春の嫌疑を受け、警察の取り調べを受けている。そして肝心の法子の方だが、近くにある私立の某女子高の生徒たちが、この夏休みに集団で売春行為を働いた事件を捜査していた警察が、その高校生の一人A子と親しく交際している佐々木法子の存在に目をつけたのである。本人は大変真面目そうで、おとなしい中学一年生の少女であるが、得てしてまさかと思われるこうした子供が、吃驚する様な変わり方を見せるのが、この年頃であることを、職務の経験上で熟知しているベテラン巡査は、法子の母親がブラックリストに載っている人物であることを思い合わせて、学校の担任である尾崎に連絡してきたのだと言う。同じクラスの生徒たちの中にも佐々木法子に関して、良からぬ噂を口にする者も現れ始めた現在、一応校内風紀の責任者である教頭先生の、お耳にお入れしておいたほうがよいのではないかと、判断したのだと、尾崎は付け加えた。 ――― 酔いが廻るにつれて、右兵衛の尉・源 正忠の毒舌は、辛辣さの度を増していた。頬と言わず顋と言わず、青々とした剛毛の密生した顔が、赤鬼の如くに上気して、テラテラと気味の悪い光を発している……。