神慮に依る「野辺地ものがたり」
第 九十七 回 目 佐々木法子は、自分の事を少しは心配してくれているのだろうか?いや、そうではないだろう、昨日、教頭に校長室へ呼ばれたことも、そして血圧の上がった教頭が発作で倒れた事も、綺麗さっぱりと忘れて、楽しい夢の世界をたどっているに、相違ない。眞木は寂しげにそう判断した後で、娘たちの寝顔を、思い浮かべていた…。毛布やタオルケットを部屋のあちらこちらに散乱させ、締まりのない恰好で寝呆けている、悦子と和恵の寝姿が彷彿とする。恐らく、子供たちの意識の中でも、父親の病気のことなど、完全に忘却されているであろう。 それでも、後何時間かして眼を覚まし、少ししたら、自分の事を厭でも思い出すことになろう…、しかし、法子の方は目を覚ましてからも、学校に出てからも、自分のことを思い出すことは、ないかも知れない。 ―― そんな風に考えを辿って来て、眞木は理由もなく悲しくなった。一体、あの少女は、自分にとって何なのだろうか…? 眞木は少女に対する、自分のこの奇妙な感情を意識し出してからは、何一つ行動していない。いや、行動できないのだ。少女に対して、校長の指示を受けて、それを口実に、幾分は積極的な働きかけを、始めてみる心算になった様に錯覚した。が、恐らく何事も為し得ないことは、最初から決まっていた。大体、現在の自分の少女に対する臆病で、消極的な態度の原因を、常識外れの年齢の隔たりに置いているが、そのこと自体既に、見せかけの逃げ口上にしか過ぎない。それは、自分でもよく承知している。……幾度も、己の少女に寄せる、奇妙な恋情を反省し、バカバカしいと打ち消し、忘れ去ろうとして果たし得ない、虚しい反芻を繰り返していると、仮令、今彼が佐々木法子の初々しい恋の相手に相応しい、十代前半の少年であっても、眞木が眞木である限り、結局は優柔不断で、行動を伴わない、敗北主義的な恋に終始するに決まっていた。 眞木は唯、理由もなく、恐ろしいのだ。少女の「正体」を知るのが。現実に働き掛け、傷つくことが。謎めいていて、見かけは魅力に満ち溢れている現実が、突如身の毛のよだつ恐怖に変貌することが…。 要するに、在りの侭の真実に触れるのが、ひどく憚られるのだ。現実と、一定の距離を保っている限り、常に逃げ場を確保出来る……。 少女に対して、直接行動がどうしても取れない以上、己の心の中に住み着いた、彼女の幻影を、その魅惑に満ちた、美しいイメージを、大切に慈しみ、育てて行きたい。それは誰にも迷惑を掛ける恐れはない。純粋に「個人的な行為」である。そう、丁度小説や詩を鑑賞する様なもの。 小説と言えば、一週間かけて読み終えた、例の小説は何を意図して、書かれたものなのだろう?特別に興味を惹かれた訳ではないのだが、ただズルズルと、最後まで読んでしまった。 やはり佐々木法子に対する心の昂ぶりが、小説を読むという異常な行動に、大きく作用していたと思う。あの小説の作者は、きっと自分のように非行動的性格の人物で、しかも自分などよりも遥かに物狂おしい心の昂ぶりを、経験したのではあるまいか。それが如何なる心の状態であるのか、判然とは解らないが、それでも今の眞木には、作者の心情の幾分かが、汲み取れる様な気がする。考えてみれば不思議なことである。四十年余りの半生を、文学とか、小説とかに全く興味も関心も持たずに過ごして来た男が、突如、十三歳の少女に恋心を覚えた興奮に駆られた如く、無名の作家の小説に熱中して、読み耽ったりしたのだから。おまけに、作者の創作時の心情の一部を、理解するに及んでいるのだから……。 眞木の精神と肉体の両方に、ある種の異変が起こっている事実は、今や疑いようのない事実である。突然、眞木の頭に「死」という言葉が浮かんできた。自分は近い将来、脳溢血が原因で死ぬのであろうか。死期が近づいた為の異変と考えれば、少女のことも、小説のことも幾分の説明になるかも知れないから。…それ以上に適当な理由が思いつかない以上、それはもう間違いのない厳然たる事実の様に、思えるのだ。―急に、深い底無しの奈落に、突き落とされたような、救いようのない恐怖が、悪寒の様に、眞木の全身を襲っている。と同時に、何故か言い知れぬ後悔の念が、自分は取り返しのつかない失敗ばかりを、繰り返して来たと思う絶望的な想いが、洪水の如く押し寄せて、たちまちに彼を呑み込んでいた。自分が今日までやって来た事の全てが、涙の出るほど、悔いられてならない……。しかしながら一方では、眞木は確信していた。自分はまだ死なないであろう、と。恐らく八十を過ぎる迄生き伸びるであろうし、この一時の病的状態から心身共に、健康に復した暁には、又ぞろ以前と寸分違わない生き方を、続けるであろうと。そして、佐々木法子という少女の事も、小説の事も、綺麗さっぱりと忘れ去ってしまうであろと。 ――― いつの間に、眠り込んでしまったのか、眞木は夢の中で、白髪の老爺であった。万朶の桜花が吹雪となって散り敷いている山麓を、ただ独り経廻りながら、彼は今、己の墓所を心楽しく物色している所なのである……。― ねがはくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃 ― 《 昭和53年7月末日 一応未完 》