神慮に依る「野辺地ものがたり」
第 百七 回 目 では、これから野辺地町起こしプロジェクトの第一歩となる、「読み聞かせの会」の具体的な内容の説明に、取り掛かりたいと思います。おっと、その前に殊更に力説して置きたい事柄があります。それは、この新規事業が、従来の町おこし事業と決定的に相違していることが有るという点です。それは、予算が限りなく「ゼロ」に近い、詰まりは、意欲さえあれば、何処ででも、また、何時からでも開始できる、という実に画期的な、仕事である点です。 詰り、未来への発展の可能性は 無尽蔵 である、にも拘らずでありますね。例えば、今回に関して言えば、私のプランと、私という貧乏な老人が年に数回青森に通う、交通費等の他は、現地の精神的な応援と、ほんの僅かな労力と、読み聞かせ会場への交通費程度の実費とがあれば、全て賄い可能なのでありますから。それもこれも、懸ってこの仕事が「営利目的ではない」からなのでありますよ、従来の 起業 や、アントレプレナーとは180度発想を異にする、未曾有の試みであり、パフォーマンスなのであります、実に…。 因みに、アントレプレナーとは刻苦勉励して新しい分野に挑戦し、新しい企業などを立ち上げるベンチャー企業などを意味します。フランス語の entrepreneur(企業家、請負人)から来ています。 誤解を招かない様に更なる注釈を付け加えますが、発想や目的が「営利や儲け」では無いだけであり、結果やプロセスに於いて利益や利潤・儲けが発生する事を、決して嫌ったり排除したりしない、という事。こう申しますと、「何だ、結局は商売が目的ではないか…」などと、非難がましい発言が飛んで来そうに思われますので、先回りしてお断り致して置きましょう。そうではありません、何よりも営利追求を目的とする商売とは、一線を画す、と申しましょうか、最初から最後に至るまで、営利や利潤を度外視してかかる。果敢に、直向きに、全身全霊を籠めて、事に当たる…、あえて誤解を恐れずに断言すれば「菩薩行としての働き掛け」そのものにほかならない。 またまた、注釈を加えますと、菩薩とは仏教の術語であり、サンスクリット語でbodhisattve漢訳で菩提薩(ぼだいさった)と音写された。ここは学問の場ではありませんの深入り致しません。ごく簡略に、御仏の広大なる慈悲の心を体して、衆生たる我々に大きな恩恵を施す事を目指している存在、と御理解ください、どうか。 仏教で言う、菩薩的な立場に立った、人々への働き掛け。それが菩薩行としての働き掛けであり、真摯にして、自他共に愉快で楽しい、行動の正しい意味合いであります。 次に読み聞かせの内容、何を誰に向かって、読み聞かせるのか、について述べることに致します。つまり、レパートリー(repertory、音楽・演芸などで出演者が、いつでも演奏、上演出来るように用意してある、得意な曲目・演題の事)は何かという点であります。 これについては、色々と様々な考え方があると思います。対象者の年齢や、性別や、置かれている環境などによっても、様々でありましょう。事前に対象者を研究して、性格とか趣味趣向など相手次第、相手本位の内容を取り揃えておく必要があるでしょうね。主眼は飽くまでも相手を楽しませ、元気づける事にありますので、その様な観点からの選択が大切でしょう。人生に対して前向きで、文句なく面白い内容の物…。 茲(ここ)で又もや、少々寄り道を致しますが、お許し下さい。目下読み直しを続行中の夏目漱石に就いてです。私は何故か、学生時代からの漱石好きで、今回は非常に琴線に触れる印象を強く感じながら、味読を続行中であります。 漱石と言えば「則天去私」の言葉が有名ですが、私はこの際これを、「天に則れば、私は去る」と読んでみようかと考えているのです、はい。又、車の両輪の様に言われているのが「自己本位」の言葉ですね。 則 は「のっとる」、つまり、矩として拠り従う、模範として傚う、という意味。 天と私とは両対極に位置する概念です。私の有りの侭の心境を述べれば、まだ私なる存在その物が不明であり、「不確定である何者か」である、と認識している。従って、天なる茫漠たる、広大にして無辺なる存在に至っては、皆目見当もつかない。それが偽らざる、私の述懐でありますから。 今は仮に天を「慈悲心の一大放射体」と受け止めて、私を「自己愛の塊」と解釈してみたい。 絶対 即 部分 の原則に従えば、天なる慈悲を受容する個々人、という見取り図が成立する。斯のごとく素直に解釈すれば、醜悪と見えたエゴが、天空に偏在する星屑のように、美しく輝くのを、発見するでありましょう…。作家・漱石のいとも美しい人間愛は、この様に人間存在を、規定したいと願った。少なくとも、その可能体として、理想の在り方として夢想した…。現在の私は、この様に考えております、率直に。 さて、レパートリーでありますが、世界の名作から、日本の神話、おとぎ話、講談・浪曲から宮沢賢治の詩「雨にも負けず」など、色々な候補作品を目下鋭意、選択している最中なのですが、ここで又々、寄り道をする必要が有ることに気づきました。 読み聞かせをする担当者が、ズブの素人で良いのかという、至極当然な疑問であります。 私は、これに「大いに結構」と答えたい。素人、OK、ド下手も大歓迎!